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小児科医の少年時代コラム8 「アサガオ」

コラム8 アサガオ

47年前、私は小学校に入学した。木造二階建ての校舎で中央が玄関になっていた。屋根の上には立派な時計台が鎮座していた。教室は南側が出窓になっていて、窓ガラスの拭き掃除の時は出窓の台によじ登って行った。

入学してしばらくすると、教室でアサガオを育てることになった。植物が育つのを観察して学ぶというものであった。各児童に栽培セットが配られた。アサガオの種子は小さくて、こげ茶色で三角形みたいな形であった。いつも食べている豆とはだいぶ違っていて不思議な気がした。

まず植木鉢の底の穴の所に、穴より少し大きめの小石を乗せるように言われた。水と一緒に土が流れ出ないようにするためだと先生が説明してくれた。『なるほどな』と思った。土を入れて種子を5〜6個まいた。さらにその上に1cmぐらい土をかぶせて、支柱を3本立てて出来上がりになった。みんなで日当たりのいい出窓の台に鉢を並べて、水をくれた。

翌日から観察が始まった。毎日水をくれた。私は早く芽が出るようにと気がはやって、つい水を多くくれすぎてしまいそうになった。しばらくは何の変化もなかったが、そのうちに芽が出始める鉢が現れた。最初に土が少し盛り上がり、すぐに芽が伸び、双葉が開いていった。私はワクワクして毎日自分の鉢を眺めた。

日を追うごとに発芽する鉢が増えて行った。私の鉢はなかなか発芽せず、土の表面には何の変化も現れなかった。ほかの鉢では次々に何個もの芽が出るようになった。私は『明日こそ』と念じたものの、期待は翌日には裏切られた。そして『明日こそ、明日こそは』と念じた。しかし次の日になっても、鉢の土は前の日に眼に焼き付けられたままであった。

一方、早く芽が出た鉢では蔓が伸び、本葉も出始めていた。私は日一日と期待を高めていったが、その都度裏切られ、落胆の度合いは日ごとに増していった。もはや芽が出ていないのは私の鉢だけになった。自分だけが何か不始末をしでかしたように感じた。このまま取り残されたらどうなるのか、先生からなんて言われるのだろう。不安と心配が渦をまいた。

もう期待はできない。これ以上待つのは限界だった。追い詰められた私はある行動にでた。それは、私が罪を犯した瞬間だった。級友の鉢から一本の芽を掘り出して、自分の鉢に植え替えたのである。休み時間、私はどの芽がいいか物色した。ばれないように、たくさん芽が出ている鉢を選んだ。そして、なるべく小さな芽を選んだ。放課後、私はひと気がなくなるのを待った。やがて教室には私以外に誰もいなくなった。だが、時々廊下を人が通る。なかなか実行に踏み切れない。いつまでもぐずぐずしているわけにもいかない。怪しまれる。

覚悟を決めた。自分の鉢の土に指で穴を掘った。これだと決めた芽をまわりの土ごと掘り起こした。芽だけを引き抜いたのでは根っこがちぎれてだめになってしまうと思ったのだ。すぐさま自分の鉢の穴に植え込んで、土を整えた。掘り起こした跡も分からないようにきれいに土で埋めた。必死だった。一刻も早く作業を終えなければ。廊下を誰かが歩いているかなど、振り返ってみる余裕もなかった。わずか数十秒のことだったであろう。こうして私は犯罪者になったのである。私は植え替えたばかりの芽に水をくれて教室を後にした。

翌日、学校に行った。私の鉢には忽然とアサガオの芽が姿を現していた。たった一晩で芽が出て、たった一晩で芽が伸び、たった一晩で双葉まで開いたのだった。いかにも不自然である。誰かがそんな異変に気がついて、悪事がばれやしないか心配だった。自分の鉢の芽が一本少なくなっているのに気がついて騒ぎだす子が出て来やしないか、不安だった。

私は息を殺すようにしてまわりの様子をうかがった。しかし、誰ひとりとして気づかなかった。教室は一日中平穏だった。そして翌日も、また翌々日も…。私はようやく安心した。私の盗みは完全犯罪となったのである。

毎日水をくれた。幸いにも芽は枯れずに根付いてくれた。うれしかった。ほんとうに有り難かった。蔓が伸びて、本葉が出て、支柱に絡みついて伸びて行った。毎日がとってもとっても愛おしかった、ぼくのアサガオ君。一学期が終わり、鉢を家に持ち帰った。花がいくつも咲いた。咲いた後には種子が出来た。一つの房に何個も入っていた。それはこげ茶色の三角の見覚えのある種子だった。

47年前のこの事実を、何度思い返してきたことだろう、走馬灯のように。自分が犯罪に手を染めた瞬間、不安と緊張で押しつぶされそうになったことを。そしてその都度自分自身に言い聞かせてきた、『仕方がなかったんだよ』、『やむにやまれなかったんだよ』と。しかし、自分に押した泥棒の烙印は消えることはない。その十字架を今日まで背負ってきた。あの日以来だと思う、自分に自信を持てなくなったのは。

今朝の新聞を見た。住所不定無職の男性(63)が弁当一個(398円)を盗み、呼びとめた警備員の顔を殴ってけがをさせたとある。記事によると、すぐ隣のハローワークの駐車場で取り押さえられ、容疑を認めているという。歳をとっても住むところがなく、金もなく、仕事のあてもなく、食べるものにも困った末の犯行だろうか。私の頭の中で、またあの走馬灯が回転し始めた。