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小児科医のコラム27 哀悼の意

コラム27 哀悼の意

私は今日も夕食をとりながら、『ああ、またやっちまった』と思うのであった。皿には野菜サラダが盛りつけてある。そこに私はたっぷりドレッシングをかけるのだ。味が濃いのが好きだからだ。そうでないと食べた気がしないのだ。しかし最近は、カロリー制限とか塩分制限とか家内が注意するようになって、食事が味気なく物足りなくなってしまった。そこで、私のせめてもの悪あがきがドレッシングというわけである。家内に気が付かれないように生野菜の上にたっぷりドレッシングをたらし、素早く口に運ぶのである。まごまごしていると、下にしみ込んでいってしまう。焦ると、箸でつかんだ葉っぱが弾けて、乗っていたドレッシングが飛び散ってしまう。しかし、気を付けてはいても、今日もテーブルの上に一滴落としてしまったのだ。

しくじった。ああもったいない。そう思ってはみても、そんな感慨にひたっている暇はない。取り急ぎつかんだ野菜を口の中に頬張らなければ、家内に見つかってしまう。そして、ドレッシングの味を堪能するのである。野菜は付け合せみたいなものだ。一口食べ終わった後で、テーブルの上に落ちたドレッシングを見る。オイルがお酢の上に分離して浮いているのがわかる。それが天井のシーリングライトの光で輝いて、まるで瞳のようである。

その瞳が悲しそうにこちらを見ている。せっかく人に食べられるために生まれて来たのに、寸前でこぼれ落ちてしまったのだ。もうあとほんの少しのところで本懐を遂げることが出来たのに、それが叶わなくなってしまったのだ。なんと可哀想なことであろうか。遠い土地で原料が生産されたのであろう。食品工場で製品化され、流通し、ようやく私の食卓に上がったのだ。多くの人の手を借りてようやくここまでたどり着いたというのに。このドレッシングにたずさわった皆が、人の口に入ることを夢見ていたであろうのに、なんという無念であろうか。こぼしてしまったことに対し私は本当に申し訳なく思うのである。

私は今日も、家内が布巾でテーブルを拭いてしまう前に、ドレッシングに向かって哀悼の意を表するのであります。