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小児科医のコラム30 勝負嫌い

コラム30 勝負嫌い

私は足が遅いので運動会のかけっこでは大抵ビリを争うのであった。どんなに気持ちで頑張っても足が回転しない。前を走る級友はお構いなしにかけて行ってしまう。うらやましくもにくらしいのである。ビリにだけはなりたくない、ビリは嫌だ、どうかビリだけは……衆目が集まる中、醜態をさらさなければならなかった。そしてゴールした後は劣等感が待っていた。私は他の子が走るのを見るのもあまりいい気持はしなかった。必死になって走っている顔はいつもの見慣れた顔ではない。顔色が真っ蒼で、怒ったように眉毛は釣り上がっている。足で地面を蹴るたびにほっぺたが激しく上下に揺れる。自分も同じような顔なんだろうか、嫌だなあ、見られたくないなあ。しかもビリでだなんて。年に一度繰り返される憂鬱な行事であった。

思えば、どういう訳か否応なしに全員参加であった。足に自信のある者同士でやればいいのに、なにも遅い者まで参加させることはないのだ。学校ではどうやったら早く走れるようになるか教えてくれた覚えはない。さらに、早く走れた方がいいに越したことはないけれど遅いからといって別に悪い訳ではないということ、早く走れるようになりたければ努力して練習すればいいという、そういうメッセージが伝えられたこともなかった。運動会の練習ではいかに滞りなくプログラムを進行させるかの練習ばかりだった。だから、一律に全員が走らされて、順位が付けられるということにどういう意義があるのか、一向に分からなかった。私は他の子に負け続けた。だから、勝ち負けをきめること自体おしなべて嫌になった。

自分が通った高校ではクラス対抗のスポーツ大会が行われた。私は運動が苦手である。普段からろくに運動もしていない軟弱な高校生であった。だから級友から期待されることはなかった。二年生の時、クラスで誰がどの種目に出場するかを決めることになった。私は相撲に選ばれたのであるが、別に相撲が強かったからではない。ただ図体がでかかったから、そして運動神経はなくても腕力で少しはどうにかなる競技だったからである。つまり、他の種目よりもまだ相撲の方がましだったのだ。こうしてみんなの足を引っ張るようにして五人のチームの一員になった。それから大会に向けて練習が始まった。休み時間に廊下で相撲ごっこである。学生ズボンのベルトをまわしに見立てて、投げの練習である。服装が乱れたっておかまいなしだ、なにせ男子校なのだから。相撲に詳しい奴がいた。小兵だがそいつにはいつも勝てない。腕力だけでは技に太刀打ちできないのだ。そして、技を教えてもらったものの、だからといってすぐにできるわけではなかった。

大会当日となった。試合は三学年すべてのクラスによるトーナメント戦である。私は期待されてないとはいえ試合に臨むのはあまりいい気分ではなかった。憂鬱である。会場は柔道場で、畳にビニールテープが貼られて土俵に見立てられた。選手は上半身は裸で、下は体操のトレパンにその上から柔道の帯をしめるのである。帯でもトレパンでもつかんでよいルールである。我がクラスは思いのほか勝ち進んだ。たまたま当たったチームが弱かったのだろう。そして、いよいよ準決勝となった。相手は同じ学年のクラスである。土俵の周りは人だかりだ。試合前に選手が土俵上で向き合って整列した。対戦順に並ぶのだ。私の対戦相手は柔道部のキャプテンであった。縦も横も私より一回り大きい坊主頭の巨漢である。私は大勢の前でぶざまな姿をさらす自分を思い浮かべた。ギャラリーの目にもすでに勝敗は見えているだろう。五対五の団体戦、お互いに礼をして試合が始まった。

取組が進み、ついに私の番になった。試合の勝敗がかかっている。土俵に出て行って蹲踞の姿勢をとった。相手の顔など見ることは出来ない。仕切り線に手を付いた。緊張で押しつぶされそうだが、もうやるしかない。審判の声がかかった、「はっけよい、のこった」。私は突進した。ぶつかった瞬間しゃにむに相手をつかんだ。気が付くと両腕は相手の脇の下から背中に伸びてまわしの奥を掴んでいた。両差しだった。相手の胴体に抱き付いているような格好である。相手は私を上から覆いかぶさるようにして、太い腕が私の肩から背中越しに伸びて、お尻のトレパンごとまわしを掴んでいた。両上手まわしである。胸が合った状態で、私を羽交い絞めにするような格好であった。

相手はすぐさま私を吊り上げに掛かって来た。怪力に任せて二本のクレーンが私の腰を引き上げようとするのだ。私はまわしをがっちり引き寄せて腰を落とそうと抵抗した。足の指は畳を掴むように力を入れた。力と力のせめぎあいである。クレーンは容赦なく私を引き上げにかかる。腰がだんだん伸びてトレパンがお尻の割れ目に食い込んで来きた。ついに足が棒立ちとなってしまった。踵が浮き上がりそうである。そうなったらもう終わりだ。一気に吊り上げられてしまうだろう。土俵はすぐ後ろだ。このままではだめだ。私はとっさに右足を相手の左足に引っ掛けた。外掛けである。外れれば万事休す、必死でからませた。左足はもう爪先立ちであった。

何秒かが経過した。クレーンの力が緩んだ。腕が続かなくなったのだ。私の腰は下りて踵が地に付いた。まごまごしていればまた吊り上げ作業が始まる。私は自然に体が動いた。外掛けを外しながら、右半身の構えに体を向き直した。右手はまわしのできるだけ奥を、左手は前まわしを掴み直した。すかさず背筋を使って上半身を反り返らせた。腕がロープのようになって相手の体をギューッと引っ張り始めた。今度はこちらが吊り上げる番だ。相手も足を踏ん張ってこらえようとする。私の二本のロープはぴんと張ったまま動かない。これ以上どうにもならない。私は体をさらに左にひねった。ロープが軋むようであった。

何秒かが経過した。一瞬、ロープが緩んだ。私が力を緩めたのではない。相手が浮き上ったのだ。こらえきれなくなって足が畳から離れた瞬間だった。私の腰が支点となって、てこの原理が働いたのだ。相手の体重が重くのしかかってきた。私は反り返らせた体をさらに左へ左へとひねり続けた。すると、ロープに引っ張られながら巨体がゆっくりと私の腰の上で半弧を描いて宙を舞った。そして土俵の外に投げ出されたのであった。ギャラリーから「ウオーッ」という歓声が上がった。窮鼠が猫を噛んだのである。観戦していた柔道部顧問の先生が驚いた様子で言った、「大腰だ!」と。相撲の決まり手の一つのようであった。
私は終わったことに安堵した。勝ったうれしさより、今までの不安と緊張に対して恨みを晴らしたような気分であった。まさに『してやったり』である。勝ち名乗りを受けて下がった後も興奮は収まりきらなかった。まさかの番狂わせである。人間は、本当に追い詰められると何が起こるか分からないと思った。

我々は決勝に進んだ。私の取り組みは今度も体格のいい上級生とであった。四つに組んでの押し相撲になった。膠着状態だ。こんな時どうしたらいいか。相撲のことなんか知らないから、考えたって分からない。相手が押してきた。仕方がなく二番煎じの「大腰」を仕掛けたが、奇跡はそう起こるはずもない。腰砕けになって押し出された。負けたのである。負けたのは残念だったけれども、自分を責めることも劣等感を感じることもなかった。我々は決勝で三年生のクラスに破れて準優勝に終わった。しかし、準優勝である。競技が終了して自分のクラスルームに戻ると、「すげーなー、すごかったんだってなー」と、観戦していなかった級友からも言われた。怪我の功名であったが、それでも褒められるとうれしいものであった。

大会は終わって私は下校の途についた。駅に着くと電車が来るまでだいぶ時間があった。私は他にやることもなく行く所もないから待つことにした。改札を通ってホームに出るとまだ誰もいない。私は待合室の椅子に座り、脇に学生かばんを置いた。そして、前かがみになって両方の手のひらを眺めた。この手で勝ったことを実感して自然に顔がほころんできた。まったくのまぐれとはいえ勝ったのだ。だが…、しかし…、勝ったとはいえ、もう御免である、負ける恐怖、負けた時の劣等感と自己嫌悪。もうたくさんだ。
さっきまでの緊張とは打って変わって今はこうしてじっと静かに座っていられる。風もなく穏やかな陽気である。日が差し込んでいる待合室は暖かく、私は一人のんびりと電車を待つのがうれしかった。