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小児科医のコラム33 サンタルチア

コラム33 サンタルチア

サンタルチアというナポリ民謡がある。有名な曲で確か小学校の教科書にも載っていたと思う。私はいい大人になるまで「サンタル・チア」だとばかりに思っていた。曲のメロディではそのように歌うからである。しかし、正しくは「サンタ・ルチア」である。調べてみると、聖ルチア、キリスト教に殉教したとされる実在の女性とのことであるらしい。知らなかった。
私は子どもの頃からこの言葉をよく口にしたのである、「なんたるちあ、サンタルチア」と。困ったときやガッカリした時につぶやくのである。単なるごろ合わせみたいだが、元々は大泉滉というコメディアンが昭和四十年代に流行らせた言葉である。「なんてこった」というような意味である。小学生の私は流行に乗って使っているうちに体に染み付いてしまった。

子どもの頃、私はクリスマスが待ち遠しくて仕方がなかった。もちろんプレゼントがもらえるからである。そしてやっとその日が来てプレゼントをもらったら、もう来年のプレゼントが待ち遠しいのである。つまりクリスマス当日が最も待ち遠しくなる日でもあった。まだ一年も先だと思うとちょっと気が滅入った。それほどサンタさんのプレゼントに胸を膨らませたのである。今年は何だろう、オモチャ、ゲーム、大好きなプラモデル。クリスマスが近づくにつれて期待は日一日と高まった。いよいよクリスマスイブの夜、私は布団に入って寝たふりをして待つのである。サンタさんてどんな人なんだろう、ずーっと起きていて確かめようと思った。しかし、もし目を覚ましているのがばれたら避けて行ってしまうかもしれない、プレゼントを置いていってくれないかもしれない。私は分からないように目をつぶり身じろぎせずに待っていると、必ず眠ってしまうのであった。

ある年のこと、翌朝になって目が覚めた。案の定眠ってしまったのだ。また今年も失敗してしまった。残念であった。来年に持ち越しである。枕元を見ると、プレゼントが置いてあった。一年間の思いが果たされる瞬間だ。しかし、思い描いていたオモチャにしてはずいぶん小さい。何だろう、手を伸ばすと見た目よりも重く感じられた。何か詰まっているようだ。カードゲームか?包み紙を破くと本が現れ始めた。オモチャでなかった。少しがっかりだ。じゃあマンガ本か。包みから出てきた本の中を開いて見ると字がいっぱい書いてある。マンガの期待もはずれた。じゃあ何の本だ。表紙を見た。「母のない子と子のない母と」と書かれてあった。私は本当に心の底から落胆した。心の中で叫んだ。
『なんたるちあ…、サンタルチア!』
何だ、この本は。題名からして道徳の教科書みたいじゃないか。親を大事にしましょうとでも言いたいのだろうか。そんな説教じみた本なんかちっとも面白くないよ。ぜんぜん喜べなかった。兄は、兄はいったい何をもらったんだろう。兄はオモチャであった。なんで?どうして?僕だって、僕にだって……、ガッカリだ。また一年待つのか、いや、もう素直に待つことなど出来ない。サンタは信用できない。もらった本はついぞ読むことはなかった。その本を目にするたびに、私はうらめしさを反芻した。
サンタは私がおとなしい性質だったのを見透かしたのだ。だから、プレゼントに乗じてあんな本をくれたのだ。オモチャで遊ばせずに、本を読ませて道徳心を養わせようとでも思ったのだろう。大人の姑息な考えが見えるようであった。

年が明けると正月である。正月はお年玉である。両親からいくら、親戚の人からいくらと皮算用する。私個人の経験からすると、その当時のお年玉の相場は大体二百円か三百円ぐらいであった。五百円は大金なのである。まとまったお小遣いがもらえるのは正月くらいないのだ。年に一度である。だから、もう買おうと見定めておいたものがある。オモチャ屋の棚の上の方に置いてある大きな箱のプラモデル、戦艦大和。ずっと欲しくていつも見上げていたのだ。親戚や知人が来るたびにお年玉をもらった。そしたら、ある人からもらったお年玉袋から五百円が出てきた。大喜びであった。その人が帰った後、母が言った。
「そのお金こっちによこしな。元々はお母さんのお金なんだよ。お母さんがよその人にお年玉あげるからそれがお返しに帰ってきただけなんだから。お母さんが内職したお金なんだから」
母の言うことには筋が通っていた。反論などできない。反論しても無駄である。「えーっ」と思いながらも、五百円を母に渡した。うれしさもつかの間だった。そしたら、母が百円玉を三枚返してくれた。私はそれを手に握って涙をのんだ。せっかくの三百円が悲しかった。そして心の中で叫んだのである。
『なんたるちあ…、サンタルチア!』
私は集まったお年玉でプラモデルを買った。それは戦艦長門であった。

小学校高学年になって、読書の時間というのがあった。先生が「自分の家にある本を持ってきて読みましょう。マンガ本以外だよ」と言った。私はその時、先生の目論見が何であるのかを悟ったような気がした。子どもがどんな本を持ってくるのか、それで子どもを評価しようとするのかも知れない。もしそうであるなら、それを逆手に取ってやれ。あの本だ。あの本なら褒められるだろう。いかにも大人が好みそうなタイトルだ。私には読む気などまったくないが、あの忌々しい本を持っていって、読んでいるふりをしたのである。先生が見廻って来た。そして、私の読んでいる本を見て言った。
「ひきまくん、いい本読んでるねえ」
私は、にやけながら先生に頭を下げた。やっぱりだ。図に当たったのだ。してやったりである。サンタといい、先生といい、考えることが見え透いていた。私は心の中で叫んだ。
『なんたるちあ…、サンタルチア!』