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小児科医のコラム44 踏ん切り

コラム44 踏ん切り

ずっと前から意味をはき違えていたことに後から気が付くことは誰にでもあると思う。よく引き合いに出されるのは、うたの歌詞で、うさぎおいしかのやまを「ウサギ食べたら美味しかった故郷のあの山」と思ったり、赤い靴はいてた女の子は「良い爺さんに連れられて行っちゃった」と思っていたりである。私にも最近判明した思い違いがある。

平成二十五年三月三十日午後八時、「ふんぎり」の意味を辞書で調べると「決断すること」と出ていた。私はこれまで「物事が歯切れよく終わること」を意味しているとばっかりに思っていた。どうしてそうなったかというと、子どもだった私は、ふんぎりは漢字で書くと多分「糞切り」だろうと勝手に思い込んだのである。糞の切れがいいとはどういうことか、私は考えた。便が一度に全部出切ってしまうことだろう。残便感もなくスッキリ後腐れがないのだ。それが元々の語源であろう。それが一般的には「物事が歯切れよく終わること」に使われるようになったと解釈したのである。だから、朝に快便が出たら私は「きょうはふんぎりがいい」と言ったり、また、あとにわだかまりが残るような物事の終わり方に対しては「それはふんぎりがわるい」という風に使って来たのである。言われた方は何だか会話が妙にかみ合わないと思ったであろう。今まで気が付かなかった。正しくは「踏ん切り」だったとは。

おなじことは「ふんばる」についても言える。私は「糞張る」と当て字した。糞をするときには息を止めて腹筋に力を入れる。お腹が張るようである。そうやって頑張ることを言うのだろうと想像した。意味としては間違ってなかったのである。だから、他の人がこの言葉を、「足に力を入れて踏みとどまる」ことにも、「気力を出してこらえる」ことにも使うのを見て、私は少しも違和感を覚えることはなかった。実際私も会話の中でおなじように使ってきた。しかしながら、私はこの言葉を今までどれだけ「糞張る」と書いてきたことであろうか。ワープロなら「踏ん張る」と正しく変換するが、それ以前は手書きだったのだ。読まされた人はどう思っただろう。糞害 憤慨しただろうか。大いに笑ってもらえたならいいのだが…

私は糞という漢字を最初に見た時、米の下に異を書けば糞になるのだと思った。なるほど、食べた米が消化されて異なった姿かたちで出てきたのが糞なのだから。そうやって覚えればいい。字の綴りには意味があるのだと思った。だから、言葉を聞いたら綴りを思い浮かべて、それで意味を理解すればいいと考えたのである。ふんぎりもふんばるも元々の始まりはここからだった。

だから、「ふんづける」のは、その語感のイメージからして「糞づける」となった。昔は野良犬の糞がそこらじゅうに転がっていて、よくズックで糞づけたのだから。