スマートフォンサイト
「子どものホームケアの基礎」のスマートフォンサイト。 子どもさんが具合の悪いときなど、枕元でご覧いただけます。 音声の読み上げも、アプリのインストールで出来ます。
QR

小児科医のコラム48 カエルの合唱

コラム48 カエルの合唱

今年も我が家でアマガエルが鳴きはじめた。冬眠していたのが出て来たのだ。しばらくすると数が増えてそこら中に散乱するようになる。越冬したカエルだけではない。毎年近所に田んぼがあってそこでたくさん生まれるのだ。塀を乗り越えて我が家の庭に侵入してくるものと推察される。

中には玄関灯の近くまで家の外壁をよじ登ってくる奴もいる。身動きせずにじっと何時間も垂直の壁にへばりついている。よくまあ落っこちないものだと思う。そして疲れないのかと心配になる。夜、灯りに近づいてくる虫を辛抱強く待っているのだ。来たら一瞬でパクつくのだろう。どうしてそんなに長く集中力が保てるのか不思議だ。玄関灯の真下に置いてある郵便受けの上に小さなゴミが落ちるようになる。いつも似通ったゴミなのだ。スギ花粉のかたまりか何かの花の種か、不思議に思いながら払いのけるようにしていたのだが、カエルの糞であると分かった。壁から落下させたのである。カエルだってわざわざ地面に下りて用を足すのは面倒なのだろう。何しろ自分の身長の何十倍もの高さの所にへばりついているのだから。

だけど、喉が乾いたらどうするのだろう。水はどこにもない。たとえ雨が降っても軒下だから濡れることはないのだ。虫を食べたからといって水分補給にはなるまい。カエルは両生類で体中が湿っていた方がいいのだろう。それなのに水分はたえず蒸発して行ってしまうではないか。出来るだけ水を摂らせてやりたい気がする。心配になって家内に聞いてみた、「スポイトで水をくれたらどうかな」と。すると「喜ぶんじゃない」という答えが返ってきた。それはそうだ。でも、あまりやり過ぎたら余った水で壁のタイルが濡れて滑りやすくなる。カエルはへばりついていられなくなるかもしれない。転落したら即死だろうか、そうでなくたってタダじゃすまされない。良かれと思ってやったことがかえって仇となる。それはいやだ。私は水をくれるのを止してカエルに任せることにした。今までも水分は自分でどうにかして来たのだから、

私の実家でもおそらく鳴きはじめていることだろう。実家は住宅街の中にあってまわりには田んぼなどはない。それなのに毎年鳴き声が聞かれるのだ。何年たっても絶えることはなかった。ということは実家の敷地内で繁殖しているのである。確かに結構広い庭があって木もたくさん生えていて、おまけに池もある。生息する条件はそろっている。しかし元々はカエルなどいなかったのである、古くからの住宅街なのだから。それが今から正確に四十四年前にカエルが生息するようになった。

私が小学校六年生の時である。学校の理科でカエルの解剖をやることになった。そのためにカエルをとってくるように宿題が出された。私は友達五〜六人で田んぼに出かけた。なるべく大きい方がいいのだが、すばしっこくてなかなか捕まらない。それでもなんとかヒキガエルが数匹とれた。アマガエルは簡単に捕まえられた。みんながたくさん捕った。たくさん捕れたのはいいけれど、アマガエルは小さくて解剖には使えそうもない。しかし、せっかく捕まえたのを逃がすのはもったいない。それを各自が虫かごにぎっしり詰めて私の家に持ち帰った。なぜ私の家かというと学校に一番近いからである。明日学校に持って行くのだ。それまで保管しなければならない。私は漬物用の大きな黄色いプラスチックの樽を用意した。各自がその中にカエルを移した。うじゃうじゃいる。逃げ出そうとしてジャンプする奴や樽の壁を登ってくる奴もいる。私は慌てて段ボールでふたをして重しを置いた。窒息するといけないから、少しは隙間があるのを確認した。

その夜、聞き慣れないカエルの鳴き声が耳に入ってきた。いや、聞き慣れていないわけではないのだが、自宅に居ながらにして聞くのが新鮮だったのだ。翌朝、私はどうしているか気になってそっとふたを開けてみた。そしたら何ということか、カエルが一斉にピョン、ピョン、ピョーンと四方八方に飛び出たのである。そのほかにもまだ樽のヘリにへばりついている奴がいる。すぐにふたをもどした。逃げたカエルを追おうとしたがもうそれぞれが草むらの中に隠れてしまった。たとえ何匹か捕まえてもすべては無理だ。私はあきらめざるを得なかった。

学校に持って行くためにカエルを取り出さなければならない。今度はふたをわずかに開けて大きいのを中心に捕まえようと思った。大きいカエルは樽の中でもすばしっこく逃げまわる。ふたをもっと開けないと捕まえづらい。開けると小さいカエルがまた一匹、また一匹と逃げるのだ。悪戦苦闘しているうちにもうどうでも良くなった。何匹逃げても同じだ。私は学校に持って行くぶんだけ捕まえた。あとは無罪放免にしてやった。草むらの中に散らばって行った。こうしてわが家の敷地内に一気に数十匹のカエルが放たれることになったのである。

しばらくは何事も起こらなかったが、いつの間にか表の庭の方でカエルの鳴き声がするようになった。あちこちから聞こえる。奴らは生きていたのだ。だが、やがて夏が過ぎて冬場を迎えるようになるとだんだん見かけなくなっていった。私はカエルのことなどすっかり忘れてしまった。そして翌年の春、私は中学に入学した。陽気が暖かくなったら何とまたあの鳴き声がするではないか。紛れもなく昨年逃したカエルたちだ。越冬したのである。私は何だかうれしい気分になった、『元気で何よりだ』と。

しかしそれだけでは終わらなかった。池の中に寒天の紐のような卵がぎっしりと産み付けられたのである。そこから真っ黒なオタマジャクシがわんさこらと生まれた。カエルに成長していった。ほんのすぐそこの庭先でのことである。それが毎年繰り返されたのである。かくして実家は絶好の生息地となり、長年にわたってカエルの合唱が聞かれるようになった。何代も世代交代を乗り超えて受け継がれたのである。

ところが最近帰省した時にふと気がついた。今年は実家でカエルが鳴かないのである。夜になってやっと一匹が鳴いた。でもすぐ鳴き止んでしまった。とても合唱どころではない。つられて鳴きだすカエルがいないのだ。どうしたことだろう、母に聞いてみた。すると、ここ数年は池に水を入れてないのだという。母は父が亡くなってから長いこと実家で一人暮らしである。そして寄る年波には勝てないのだ。池を掃除する元気がなくなった。それで水が抜かれるようになったのである。そうなるとカエルは子孫を残すことが出来ない。次々に天寿を全うしたのであろうか。そうでなくても庭に侵入してくる猫に喰われたりもする。絶滅しかけているのだ。もしかしたら鳴いたカエルが最後の一匹なのだろうか。このままいけば住宅街には四十四年ぶりに静けさが戻るだろう。カエルの合唱は近所の人にとっては迷惑だったかも知れない。

しかし私にはガッカリだ。寂しいのだ。大げさかもしれないが、自分の子供がいなくなるかのように感じられる。元々はカエルを田んぼから連れて来たのはこの私なのだ。罪悪感がある。でもカエルは生きながらえた。世代を超えて命をつないでくれた。それが私にとっては罪滅ぼしになった。実家に帰ってカエルの声を聞くと安心できたのだ、「生きていてくれたのだ」と。そして今年も梅雨の季節がめぐって来た。田んぼには水が張られる頃である。つまりカエルにとって繁殖の時期なのだ。だったら、今からでも間に合うかもしれない。近いうちにまた実家に行こうじゃないか、もちろん池の掃除をするためにである。