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小児科医のコラム65 軍刀

コラム65 軍刀

よっぽど行き詰った時、私は「軍刀」を思い出すことにしている。昔の偉い軍人が腰につけていたやつだ。なぜ軍刀かというと、三十五年前に教わったからである。

予備校の古文の授業でのことだった。講師の先生が「本当に人を鍛えるのは誰か、どうしたら自分の限界を乗り越えて大きく飛躍出来るか」という話をしてくれた。それは自分なのかというと、そうではないと先生はおっしゃる。もちろん自分で努力するのは大切だけれども、それで自分の壁を乗り越えるのは極めて困難である。たとえ出来たとしても大きく打ち破るものにはならない。第一、それほどまでに自分に努力を強いることができる者は滅多にはいないのである。それじゃあ他人が鍛えるのかというと、それも違うのだそうだ。たしかに他人から無理矢理強制されて、否応なく鍛えられるということはよくある。部活でも先輩から言われればやらなくちゃならない。いくらへばっていて自分からはもう練習する気にならなくても、である。やらされてしょうがなくやったから出来るようになったという具合だ。しかしそれ以上に本当に人を鍛えるのは社会であるという。社会の力こそが自分の限界を超えて大きく飛躍させるのだそうだ。私は意外に感じた。どういうことかピンと来なかったが、先生の実体験で説明してくれた。

先生が子どもだった頃は学校で軍事教練が行われていた時代であった。陸軍の現役将校が学校に配属されて訓練を行うのである。ある日の体育の授業は鉄棒の逆上がりであった。当然のことだが最初から全員がうまく出来るわけはない。できない奴は何度練習してもできなかった。それを見ていた将校がたるんでいるとでも思ったのだろう。朝礼台の上に登っていきなり腰に下げていた軍刀を引き抜いたのである。そして空に向けて高々と突き立てた。その瞬間、生徒全員が震え上がった。出来なければ軍刀で切り捨てられることを意味していた。しかも絶対命令なのだ。今ではそんなこと想像もできないが、それが当時の世相だった。そうしたら何と驚いたことに、全員がいっぺんで逆上がりが出来てしまったのである。それまでいくら自分で頑張っても出来なかったのに、体育の先生に言われてもなかなか出来なかったというのに、それが一人のこらずである。

どうにも逃げられないほどに追いつめられると人は思いもよらぬ力を発揮して今までできなかったことも出来るようになってしまう。それほどまでに人を追い詰めるのが社会である。人を強く突き動かす力を持っているのが社会である。そういう意味のことを先生はおっしゃった。だから、たとえ社会からつらい目に会わされても、理不尽なことを要求されても腐っちゃいけない。くじけるな、頑張って耐えろ。それが自分の限界を超えて飛躍するチャンスなのだ、と。いずれ受験が終わって予備校を去ってゆく浪人生に向けての先生のエール、はなむけの言葉であった。それまで私は社会というものをそのように意識したことはなかった。そんなこともあるのかなあと半信半疑だった。

何年か後に私は医者になった。小児科の研修医である。大学病院には重い病気の子どもがたくさん入院していた。治療のためにどうしても点滴を入れなければならない。でも、そう簡単には入らないのだ。病弱な子どもの血管は細く、脆くて破れやすい。小さな子どもだと皮下脂肪が厚くて血管が見えない。子どもは必死で泣き叫んで暴れる。それを押さえつけて行うのだ。何度も失敗する。手間取れば手間取るほど状況は悪化してゆく。劣等感と罪悪感で卑屈になる。それをこらえてやらなければならない。こういう時のことを誰が言い始めたか知らないが点滴地獄と言った。私は医者だから点滴するのが使命である。社会が私に要請しているのだ。絶対に諦めるわけにはいかない。でも成功する見通しなどない。私はしばしば追い詰められた。無性に家に帰りたくなった。でも点滴が入るまでは小児科病棟の処置室から出られない。逃げ出すわけにはいかないのだ。どうにもやりきれなくなったその時に何年か振りで軍刀の話を思いだした。あのとき先生がおっしゃっていたことはこういうことなのか、と。やるしかない。自分ができそうもないと思っていることでもやれば何とかなるかもしれない。また頑張ってみることにした。再び自分の気持ちを奮い立たせたのである。

点滴地獄は何度も訪れた。しかし幸いにもその都度どうにか切り抜けることが出来た。軍刀のおかげだ。医者も続けて来られたのだ。もしあの話を聞いていなかったなら、すぐに諦めてしまう人間になっていたかもしれない。軍刀の話は一生忘れないでいようと思う。そうすれば、この先また大きく飛躍できるかも知れない。死ぬ瞬間までその期待を持ち続けていたいのだ。
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