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小児科医のコラム73 間違われ電話

コラム73 間違われ電話

私の携帯に稀に無言電話がかかって来ることがありました。見知らぬ番号からなので不信を抱きながら電話に出ると無言です。いくら呼びかけても返事はありません。気味が悪いし不愉快である。こんな嫌がらせを受けるような覚えはないのだが。こちらから電話を切ると、もうそれっきりである。もしも悪意があるなら何回もかけてきてもよさそうだがそうではない。しかしながら忘れたころにまたかかってくる。そしてその都度一回きりで、陰湿に繰り返されることはありません。気まぐれに人を驚かそうとする愉快犯の仕業か、不思議である。

ある時、また例の番号からかかってきた。呼びかけても応答なし。私は相手が何者か手掛かりをつかもうとじっと耳を澄ましてみました。背景の雑音から何か分からないか、テレビの刑事ドラマの真似をしてみたのです。するとどうでしょう、受話器の遠くからかすかな物音が聞こえるではありませんか。人が板の間を歩くような音、カチャッ、コトッという食器の鳴る音、物を置くような音、家庭内でよく聞かれる音です。急いでいるような雰囲気はありません。私はまた相手を呼んでみました。しかし反応はありません。相手の耳に届いていないのかワザと無視しているのか、いずれにしても受話器を置きっぱなしにしているようです。普通なら、電話に出た相手が気味悪がるのを受話器を通して窺っていることでしょう。愉快犯ならこちらが困惑している様子を察知してほくそ笑むでしょう。ところがこの電話のかけ主はそのどちらでもありません。こちらの様子などおかまいなしで、何か他のことをやっているようなのです。目的は何なのか、まったく意味が分かりません。

その後も同じ番号から何回かかかってきました。耳を澄ますといつものように同じ物音が聞こえてきます。呼んでも応答がありません。いくら待ち続けても何かほかのことをやっている様子が続きます。人に電話をかけておきながらほったらかしにするとはどういうことか、無言電話にしても失礼ではないか。私は次からは電話に出ないことにしました。すると、また忘れたころにかかってきます。無視していると着信音が延々と鳴ります。十回、二十回、三十回、まだまだ続きます。そのしつこさは尋常じゃありません。根負けして電話に出るとまた例の物音です。理解不能。当時の私には着信拒否という高等テクニックは思い付きませんでした。

ある時、またかかってきました。ちょうど携帯電話を手にしていた時だったので、思い切って即座に電話に出てみました。「もしもし」と声をかけると相手が驚いて「えっ」と反応しました。こちらもびっくりです、無言電話がしゃべったのだから。さらに相手が「どちら様ですか」と言ってくるじゃないですか。これまたびっくり、名前も知らない相手に電話してきたのか。電話に出ていきなり名前を聞かれたことなど初めてです。聞かれたからと言って名乗るわけにはいきません、不用心だ。むしろ、どなたさまなのかはこちらのセリフである。どうも声の様子から中年の女性のようだ。「それ私の電話なんですけど」とまた訳の分からないことを言ってきた。そんなことはない、これは自分がずっと使ってきた携帯電話である。私は「何番におかけですか」と聞いてみた。すると相手は私の携帯の番号を言うではありませんか。そしてまた、「そのスマホは私のです」とおっしゃいます。いやいやとんでもない、私のは今や絶滅危惧種となったガラケーである。話が合わない。よくよく話を聞いてみた。すると、スマホを家の中のどこかに置き忘れたので、探すために固定電話からスマホに電話をかけたとのことです。着信音をたよりに見つけ出そうとしたのでした。どうやらそのご婦人は自分のスマホの番号を間違えて覚えたのでしょう。間違われた番号が私のだったのです。やっと分かりました、たまにかかって来る気まぐれな無言電話、その背景の不思議な物音、執拗に鳴り続ける着信音の理由が。私はそのご婦人に自分の電話番号をもう一度確認するように言って電話を切りました。