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小児科医の少年時代コラム6 「名前」

コラム6 名前

私の名前は「昭夫(あきお)」である。通称「アキちゃん」と呼ばれた。性格はおっとりしていて、一つのことを集中してじっくりやるタイプだったそうである。例えば、好きな蒸気機関車の絵なら何時間でも描いていられた。そこで母は、幼児の私に画用紙とクレヨンを与えては一人で留守番をさせた。そうしておけば母は安心して外出していられたのである。

ある日、叔母がそんな私を見て、「根気強い子だねぇ〜アキちゃんは。アキちゃんだから飽きないんだね〜」と言って褒めてくれた。私は、『そうか、昭夫(あきお)だからアキないのか』とすんなり納得してしまった。そう思い込んだまま大学生になった私は、ある日ハッとひらめいた。『ちょっと待てよ、「昭夫(あきお)」だからアキっぽいと言った方が自然じゃないか』と。叔母の言葉は何のことはない、名前と性格をダジャレでこじつけただけだったのだ。そんなことに今の今まで気がつかずにいた自分に驚きだった。

小学6年生のある時、「自分の名前の由来を調べてくる」という宿題が出された。それまで自分の名前の由来など考えてみたこともなかった。この宿題で先生が何をもくろんでいるか直ぐに分かった。またぞろお決まりの説教がしたいのだ。先生は何かにつけて「親を尊敬しろ、親孝行しろ」と説くのが常なのである。だから今回は、生徒に自分の名前の由来を調べさせて、名前に込められている親の思い入れを知って、自分を大切に思ってくれる親を有り難いと思い、そんな親を「尊敬しろ、親孝行しろ」と、話が流れてゆくのが目に見える様だった。明日の授業が少し鬱陶しく思えた。

さっそく家に帰って母に尋ねてみた。「アキちゃんはね、昭和に生まれたから、昭和の昭の字を取って昭夫(あきお)にしたんだよ」と答えが返ってきた。名付けの理由はただそれだけだった。ほかに何の思い入れもなかったらしい。なんだかガッカリした。そして自分の宿題の答えは先生の思惑に水をさすことになるだろうと予想して、またまた鬱陶しくなった。

翌日、先生は生徒一人一人に名付けの由来を答えさせた。その都度感心して聞いていた。いよいよ私の番が回ってきた。私は下を向いて正直に答えた。先生は一瞬鼻白んだ様子になったが、何事もなかったように私の脇を通り過ぎて行った。そこで記憶が途切れてしまっていて思い出すことはできないが、先生はいつものように親孝行論をぶち上げたに違いないのである。

「昭夫」という名前はよく書き間違えられる運命にあるらしい。今では慣れてしまったが、最初は衝撃だった。それは小学生の時にもらった賞状だった。名前の欄には「照夫」と記されてあったのだ。賞状の嬉しさが一変した。何か見てはいけないものを見てしまったような罪悪感に見舞われた。このままだと何か取り返しのつかないことが起こる気がした。慌てて先生に申し出ると、後日書き直された賞状がもらえることになった。自分の名前が人に迷惑をかけたように感じて何だか後味が悪かった。

しかし、その後も同じ間違いはくりかえされた。私は次第に鬱陶しくなって、終いには見なかったことにすることにした。もらった賞状は、訂正も求めず、親にも見せず、自分ひとり胸の中に仕舞い込んだ。大人になってからも続発したが、支障のない限り黙認した。そんな中、医師免許を取得した時には、そこに正しく名前が書かれてあるのを見て、さすがにほっとしたのを覚えている。

近年、たまたまテレビのインタビューを受ける機会があった。取材の後、肩書きと名前を聞かれたのでメモに書いて渡した。午後のニュースで放送されるとのことだった。自分は仕事中で視ることはできない。さっそく家族に知らせた。録画もセットして家族中でテレビに釘付けになっていたらしい。

帰宅するなり、息子や娘が「早くテレビ局に電話しろ」と言うのである。何のことかと思って録画をみてみた。自分の姿と、字幕には自分の肩書とともに「照夫」の名が映し出された。しきりに抗議の電話を促してくる子供に、「う〜ん、いいよ、父さんは今日から照夫(てるお)になるよ」と、わざとらしく面倒臭そうに答えた。子供たちと妻は、あきれた顔で笑った。私は、苦笑いするしかなかった。

自分の名前に関して晴やかな思い出はないが、自分の名前はたった一つしかないのだから大切にして、その名を汚さないようにしたいと思う。五十を過ぎた今になっても、近親者からはいまだに「アキちゃん」と呼ばれている。