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小児科医の少年時代コラム7 「マヨネーズ」

コラム7 マヨネーズ

実家の母は、父に先立たれてから独り暮らしの身になっていた。離れて暮らす子供としては何かと心配である。体調を崩していないか、火の始末は大丈夫か、悪徳業者に騙されてはいないか、振り込め詐欺はかかってこないか…。

そんな矢先、私が実家の近くの病院に転勤することになった。そこで私は実家に居候することにした。通勤に便利であり、母のことも安心だからだ。30年ぶりに母との同居が始まった。

同居してみると母はせっせと息子の世話をやき始めた。すこしでも寝坊しようものなら、「起きてるかーい」と声をかけてくる。出かける時には必ず昼食を持たせてくれるのである。

ある朝、私は母の手作りのサンドイッチを受け取ると、そっとカバンにしまい、家を出た。通りを歩きだした時、勢いよく玄関が「ガラッ」と開いて、母の大声が聞こえた。
「アキちゃ〜〜ん、アキちゃ〜ん」

私はギョッとして恥ずかしさがこみあげてきた。近所中に聞こえてしまったにちがいない。五十歳にもなる大の大人が、いまだに『ちゃん』付けで呼ばれていようとは。

私は小声で押し殺すように言った。
「何言ってんだよ、かあさん! アキちゃんじゃあないよ、そんなでっかい声で! みんなに聞こえちゃってるよ!」

母は私を見上げてこう続けた。
「アキちゃん、今日のお昼はね…、サンドイッチだからね…、そおーっと持って食べないと、マヨネーズがはみ出ちゃうから気をつけるんだよ」

私は絶句して、しばらく開いた口がふさがらなかった。

よくぞそこまで子供のことを心配してくれたものだ。見上げた親心である。母は子供のことが心配で、おちおち老いぼれてなどいられないのだ。母を心配した自分が逆に母から心配されてしまっていた。親というのはありがたい。

だけどね、人様の前で「アキちゃん」と呼ぶのはもう止めてくれないかなあ、なあ、母さんよ。