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小児科医のコラム15 待機 その3

コラム15 待機 その3

二十数年前のある日曜日、私は病院の寮の自分の部屋で「待機」していた。病院で何かあれば呼び出される当番だったからである。早速救急外来から連絡が入った。子どものけいれんだと云う。行ってみると、急患室には乳児が運び込まれていた。けいれんが続いていた。断続的に全身が痙攣する「間代性けいれん」であった。もちろん意識はなかった。高熱が出ていた。
子どものけいれん自体はそう珍しくはない。大抵は数分で止まるものだ。だから、病院に着くまで続いていることなどめったにはないのだ。ところがその乳児は、聞けば二時間以上もけいれんしているとのことであった。これは正真正銘のけいれん重積だ。一刻も早く止めなければ。病気の診断はその後だ。小児科医が最も緊張する場面である。恐ろしい病気が原因になっていないか、不安がよぎる。

救急車に同乗して来たご両親が急患室の壁を背に立って見ている。その不安と心配は尋常ではないだろう。生きた心地さえしないのではないかと察せられる。そんな時、医療従事者は家族の心情をおもんぱかって、できるだけ落ち着いた態度をとるように努めるのである。もし頼りないような印象を与えてしまえば、家族の不安は一気に掻き立てられるだろう。だから医師や看護師は敢えて淡々と仕事に当たるのだ。それが場合によっては不愛想に受け取られるかもしれない。
医者の私にだって一抹の不安はある。しかし、そんなことはおくびにも出してはいけない。私は、逆に目に力を込めて、大股で勇ましく急患室に入っていったのである。それは、家族が見た私の第一印象で、すこしでも安心してもらえたらいい、信頼してもらえればいいと思ったからであった。

私は乳児の元に直行し、顔と顔がくっつくほど近づいて聞き耳を立てた。2〜3秒してから、看護師さんの方に向かって私はわざと口走った、「あ〜、不規則だけど呼吸してるね〜」「顔色も悪くないね〜」と。
「仰向けだと分泌物でのどが詰まるかもしれないから、顔を横に向けましょう」とつぶやくように言って、子どもの顔を横向きにした。口の中に溜まっていたツバが口元から流れ出た。
「呼吸できてるけど、酸素もあった方がいいから酸素マスク用意してください」と看護師さんにお願いした。私は右手で子どもの顔を横向きに保ち、左手に酸素マスクを持って口元にあてがった。
次に、吸引を頼んだ。「分泌物やツバでのどが詰まらないように、口の中を吸引してください、なるべくそっと吸引してください、刺激するとけいれんが止まらなくなるから」と。

ご両親は耳をそばだてて私と看護師のやり取りを聞いているに違いなかった。だったら、聞いていてもらいながら、子どもの様子が伝えられれば少しは安心してもらえるだろうと思った。だから、私は子どもの状態や医学的判断をわざと大きな声でつぶやくように言ったのである。また、医者がどんな理由で何をしようとしているのか、看護師ならわかりきっているようなことでも、敢えて声に出して、その時の看護師さんに向かって話すようにしたのである。それは、それを聞くことで両親が納得できればよいだろう、そう思ったからであった。

小児科では子どもの治療はもちろんのこと、子どもの世話をする保護者のケアも重要である。いかにして安心していただくか、いかにして納得していただくか。そのようなノウハウは医学書には書かれてはいない。私は先輩のやり方の真似をしたのである。真似といっても、教えてもらったわけではない。盗み見て覚える機会もなかった。先輩の診察の介助を行った看護師さんが、私に耳打ちして教えてくれたのである。
先輩は子どもの診察しながら、その所見がどうなのか、医学的な判断は何なのかを、まるで子どもに向かって話しかけるかのようにつぶやくのである。それは、実際には保護者に聞いてもらうためであった。このやり方なら、保護者の方は聞き耳を立てているだけで自然に子どもの様子が理解できて安心できるのだ。特に子どもがけいれんした時の保護者は気が動転してしまっていることが多い。それは無理からぬことである。だから、私はこの時に先輩のやり方を真似て、応用したのであった。