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小児科医のコラム16 待機 その4

コラム16 待機 その4

二十数年前のある日曜日、私は病院に呼び出された。救急外来からであった。行ってみると、救急車で乳児が運び込まれていた。けいれん重積だった。それをご両親が急患室の壁を背に立って見ていた。私は何か恐ろしい病気なのか懸念した。

一刻も早く止めなければ。点滴して即効性の抗けいれん薬を注射するのだ。医師、看護師が手分けして手足の血管を探した。子どもの血管はただでさえ細いのに、けいれんの影響でいっそう細くなる。さらに悪いことに、乳児は太っていて皮下脂肪が厚く、血管がその中にうずまってしまい見えなくなっているのだ。

何とかして血管がありそうなところを見つける。視線をそらさず慎重に針を刺入する。けいれんで体がぶれれば狙いを失う。針をいくら刺してもなかなか血管を捉えることはできない。血管に当たっても、細いからすぐ突き破って出血させてしまう。自分を責める。焦る。自分を奮い立たせる。何度も失敗を繰り返した。子どもがかわいそうだった。見ている両親はどんなに辛いだろうか、早く何とかしてやりたいと、現場のみんながそう思った。しかし何度針を刺しても点滴は入らなかった。じりじりと時間が過ぎて行った。

血管を探すためにみんなが乳児の手足とにらめっこであった。背後から突如、両親の声が聞こえた。
「まだ入らないのかしら」
「いつも行ってる所じゃ一回で入るのに」
両親の言葉は、現場のみんなに冷や水をあびせたのだった。

あんまりだ、みんながこんなに心を込めて、懸命に手を尽くしているというのに。私はとっさに反論しそうになった。子どもの点滴がどれほど難しいか。見えない血管にどうにかして入れようとしていることを。こんなに太っていることを。失敗をとがめられれば、やろうにもやれなくなることを。 しかし、すぐに思い返した。もう黙って見ていられないのだ。よっぽどつらいのだ。我々の比ではない。何を言っても火に油だ。やり場のない気持ちをたかぶらせるだけだ。かえって苦しませることになる。みんなも同じ思いだったに違いない。誰一人として反論するものはいなかった。それどころか、全く聞こえなかったようにうつむいたまま子どもの手や足とにらめっこを続けた。完全無視を決め込んだのである。それがせめてものご両親への思いやりであった。

カルテを見ると、住所が「東京都…」となっていた。避暑にでも来ていたのだろう。それが、田舎の知らない病院に運ばれて、なかなか点滴が入らないとあれば、どうしたのか疑いたくもなるのも当然だ。そもそも地元の人と違って病院への信頼が築かれてはいないのだ。
一方、都会の人に対しては、田舎の人より権利意識が強いという先入観があった。言葉や態度など、ちょっとしたことが原因で大きな不信感をもたれないようにしなければ、と思った。カルテの職業欄を見ると、几帳面な字で「○×法律事務所勤務」と書かれてあった。

何としても点滴を入れなければならない。その後も失敗した。両親のつぶやく声が聞こえた。ますます血管は見当たらなくなってゆく。絶望的である。しかし、けいれんはお構いなしに続いている。諦めるわけにはいかない。いや、絶対にあきらめるものか。これまでに何度も点滴の修羅場をかいくぐってきた。そして、その都度どうにかなってきたのだ。

針のむしろであった。四十五分が経過した頃に、けいれんは徐々に徐々に弱まっていって、ついに止まった。乳児には安らかな呼吸がもどり、そのまま眠っていった。手足の血のめぐりが良くなり、肌に赤みがさしてきた。縮んでいた血管が膨らんで、見えるようになった。皮肉にも、その後すぐに点滴が入ったのであった。

入院となり、病室でしばらくして乳児は目を覚ました。意識が戻って母親に抱きついた。両親も笑顔になった。重い病気ではないことが察せられて、私はようやく安心した。 その後三日ほど熱は続いたが、けいれんの再発もなく乳児は元気に過ごした。熱が出なくなるのと入れ替わるようにして、体に発疹が出現した。診断は突発性発疹であった。すぐに発疹は跡形もなく消えた。何の後遺症も残さず元気になって退院となった。両親は笑顔で「お世話になりました、ありがとうございました」と言って、東京に帰っていった。

原因となった突発性発疹は自然の経過で治癒していった。乳児自身の免疫機能が働いて治ったのである。私が何かしたからではない。だけど、両親は私に治ったお礼を述べて帰ったのであった。あの急患室の地獄のようなつらく苦しかったことへの恨みつらみの言葉もなければ、現場で懸命に努力して針のむしろに耐え忍んだ医療従事者みんなに対してねぎらいや感謝の言葉もなかった。まるで忘れてしまっているようであった。患者さんにとっては、すっかり治ればそれでよいのである。特に小児科では完治して当たり前なのだ。それでやっと及第点なのである。
私はなにも、「ねぎらってくれ、感謝しろ」と言いたいのではない。患者さん側からは何の評価も受けないで終わってしまう医療者側の隠れた苦労というものがある。けっして日の目を見ることはないが、それでよいのだ。医療ばかりではない、どの職業でもそうだろう。つまり、当たり前のような結果の裏には、隠れた努力が積み重ねられていることを、この患者さんから教えられたのであった。 事故もなく、トラブルもなく、無事に治ったことで患者さんからいただいた及第点こそが、医療者にとっては満点なのである。