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小児科医のコラム17 記憶 その一

コラム17 記憶 その一

記憶は定かではないが、まだ家族が全員そろって食事していた頃である。ということは、私は高校生だったのかもしれない。もう四十年も前の話になるであろうか。ある日の夕食時、何かの話の流れで父が感慨深げに言ったのである。
「昭夫にはほんとに驚かされたよなあ、ハイハイで表まで出て行っちゃったんだからなあ」
昭夫とは私のことである。私はその言葉を聞いて、自分が何をしたのか全く思い出せなかった。父が言うには、赤ん坊だった私が家を抜け出して表通りまでハイハイで出て行ってしまったのだという。
事故にも合わず、人さらいにも合わず、無事発見されたのであった。そんなことがあったと聞かされても、全く記憶がないのである。
しかし、私には昔の何とも言えない懐かしい感じが段々とよみがえってくるのが分かった。いったいこの懐かしさは何なのだろうと不思議に思った。

   私は昭和三十年代前半に、埼玉県の加須市という田舎町で生まれた。父は銀行員をしており、私の一家はその社宅に住んでいたのだ。表通りから小道に入り、さらに砂利の路地を進んで突き当たったところであった。敷地は生垣で囲まれていて、板張りの引き戸が出入り口になっていた。
私はその家の縁側でよくひなたぼっこをしたのである。日差しが暖かく、よく眠ってしまった。目を覚ますと横で母が足踏み式ミシンをかけているのが見える。母ににっこり笑いかけると、母はいつも微笑み返してくれた。それがとてもうれしく心地よく感じられた。
また、横になりながら外の景色を眺めて過ごすのである。庭や生垣が見える。たまに人が訪れてくると、生垣を通して人影が移動して来るのがわかる。引き戸を開け閉めして人が入ってくるのである。帰るときはその逆である。人が引き戸を開け閉めして敷地の外に出る。そして来た時の方に人影が移動してゆく。それが生垣越しに見えるのであった。
人はいつも同じ方向から来て、いつも同じ方向に帰ってゆくのである。それは袋小路の突き当りの家だから当然なのであるが、しかし、そんなことは幼い私には知る由もない。私はいつしか知りたくなった、行ってみたくなったのである。人が来る方に何があるのか、どうなっているのか。

行くにはどうしたらいいか、ひなたぼっこしながら考えたのだ。引き戸は、柱と柱の間を鴨居と敷居の溝を滑って開いたり閉じたりする。いったん閉まってしまえば通ることはできない。自分には開けられないのだ。何とかならないか。私はあたりを見まわした。生垣はびっしりと葉っぱが生い茂っている。木の根元からはすぐに細かい枝が出ている。枝と地面との間はほんのわずかな隙間しか開いてない。私は一本一本の根元の枝振りを眺めた。少しでも枝が生えていないところがないか見比べたのである。しかし、どこもくぐり抜けられるようなところはなかった。やたらと野良犬や野良猫などが入ってこないようになっていたのである。しかし、私は一か所に目を付けた。引き戸と生垣のつなぎ目である。生垣の一本目の木の根元は、引き戸側の枝が少し生えそろっていないのだ。その結果、生垣と地面と引き戸の柱で囲まれた部分が直角三角形のような隙間になっていたのである。あそこなら通れるだろう、そう思ったのであった。
私は父の言葉を聞いて、その記憶がだんだんと懐かしく鮮やかによみがえってきた。そうだ、そうだよ、あの生垣、あの引き戸、あの隙間、家から抜け出してみたいと思ったあの時の自分、いま思い出したよ。

おそらく、私はハイハイできるようになると、かねてから考えていたことを決行したのである。いつものようにひなたぼっこしていた縁側から庭につたい降りて、ハイハイして庭を横切った。そして、ねらい通りに生垣と柱の間の隙間をくぐり抜けることに成功したのだ。後はいつも人が歩いてくる方に向かって行くだけだ。砂利道を肌着の赤ん坊が一人でハイハイして、表通りに出て行ったのだ。通りかかった誰かに見つかって無事に保護されたのであろう。

子どもは大体七か月くらいになるとハイハイするようになる。一歳二か月くらいになると独り歩きするようになる。とすると、私のひなたぼっこの記憶は生後七か月以前の時期ということになる。冒険を決行したのは、生後七か月から一歳二か月のあいだに行ったものと思われる。今から約五十四年前の事実である。