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小児科医のコラム18 記憶 その二

コラム18 記憶 その二

懐かしいと感じることはなにも大人ばかりではない。どんなに幼い子どもでもそう感じることはある、と私は確信する。
私は小さい頃、好きで好きでたまらないものがあった。「それ」はいつも私の左の胸元に現れた。それを見ているだけでうれしかった、いつまでも楽しかった。それに逢えるのがとっても楽しみだったのである。しかし、たまにしか現れないのだ。それがいつかは分からない。私は待つしかない。なかなか逢えないでいると、いつしか忘れてしまった。しかし、思いがけずまためぐりあえると、思い出して懐かしさが込み上げてくるのだ。これだよこれ、これを待っていたんだよ、これを探し求めていたんだよ。うれしさでうきうきしたものであった。
 ところが、「それ」はいつの日からか、一向に現れなくなってしまった。忘れたころにまためぐりあえていたのが、すっかり途絶えてしまったのだ。また逢いたいなあ、と時々思い出しては待ち望んだ。だが、それも時が経つにつれて遠のいて、やがて私は「それ」の存在さえも忘れ去ってしまったのである。

 二十数年後、私は大学生になり、家を出て下宿生活をするようになっていた。長期休暇の際には実家に帰省した。つい最近まで生活していた場所なのに、数か月離れただけでも懐かしく感じられた。私は暇だったので何気なく子どもの頃の写真を見たくなった。母に申し出ると、すぐに古ぼけた衣装箱を出してくれた。ふたを開けると中には大きなアルバムが一冊入っていた。それは私のではなく兄のものであった。表紙には「愛兒の生い立ち」とあった。アルバムを開けてみた。最初の一ページ、中央に一枚の白黒写真がはってあった。赤ん坊が一人で写っていた。兄である。背景には何も映っていない。記念にどこかの写真館で撮られたものであろう。
赤ん坊は首から胸元にかけて白いよだれかけをしていた。着ている物には動物の小鹿の絵やおもちゃのバスが描かれてあった。私はあることに気が付いて、写真にくぎ付けになった。着物の合わせ目に隠れそうになりながらも「それ」が写っているのだ。一部分しか写っていない。だけど、まぎれもなく「それ」だ。間違いない。そこに描かれてあったのは、おもちゃの機関車の絵。これだ、これなんだよ、本当にぼくが逢いたかったのは。どれほど待ち望んでいたことか。懐かしさが込み上げてきた。二十数年ぶりの再会である。すっかり忘れてしまっていたが、遠い記憶の彼方から一瞬にしてよみがえった。母に聞くと、これは絹でできた品の良いよそゆきの着物だったのだという。だから、私もこの着物を外出時などに時々着たのだろう。

私は自分のアルバムを見たくなった。すぐに箪笥の中から見つかった。表紙をめくってみると、一ページ目の中央には一枚の白黒写真がはってあった。赤ん坊が一人で写っていた。私である。背景には何も写っていない。兄と同じようによだれかけをして、同じ着物を着ていた。小鹿が写っていた。バスもトラックも。だけど、機関車はいない。私は兄の写真と見比べてみた。着物の合わせ目の裏にすっかり隠れてしまっていたのだ。私の記憶では、左の胸元にも描かれているはずである。しかし、二人の胸元にはよだれかけがかかっていて、見ることはできなかった。

写っている私の髪の毛は頭のてっぺんの方に逆立っていた。赤ん坊は約四か月で首が座る。それまでは仰向けで横になっている時間が多いから、髪の毛が重力で逆立ってしまうのである。首が座ると縦抱きが出来るようになって、髪の毛はねてくるのである。ということは、少なくとも生後四か月以前の写真である。しかし、兄も私も顔のおさなさからすると、おそらくお宮参りの時にどこかの写真館で撮られたものと思われる。

今では、よみがえった機関車の思い出が私の最も古い記憶である。首が座る前からすでに私は懐かしさを感じていたのであった。

アルバムのページをめくってみた。私が裸ん坊でひなたぼっこしている写真がはってあった。そして、さらに次のページには、母と2歳ごろの兄と、祖母に抱っこされた私の四人が写っている写真があった。私の首はすわっていて、祖母に縦抱きに抱っこされていた。四人の背景には、あの板張りの引き戸と生垣が写っていた。その境目の生垣の根元は人の陰になっていて確認することはできなかった。