スマートフォンサイト
「子どものホームケアの基礎」のスマートフォンサイト。 子どもさんが具合の悪いときなど、枕元でご覧いただけます。 音声の読み上げも、アプリのインストールで出来ます。
QR

小児科医のコラム19 永遠のリサイクル

コラム19 永遠のリサイクル

私が4歳まで住んでいた家のまわりには、桑畑やネギなどをつくる畑が広がっていた。桑の実を摘み取って食べたり、あぜ道で追いかけっこしてまわった。そんな楽しく遊んでいる時、一瞬鼻を突く嫌な臭いに見舞われることがあった。『あー、またかー』と思うのである。
畑には畝が立ち、畝と畝の間には、下肥がまかれてあるのだ。『きったねーなー、くっせーなー』と思うのである。だから、たとえ追いかけっこでも、あぜ道を曲がって逃げるときは、とくに慎重にスピードを落としたのである。こんなところに突っ込んだら大変なことになる。間違っても足を踏み外すわけにいかない。

何でこんな所にこんなものをまくんだよ。疑問に思って母に聞いた。すると、人のウ○チは栄養になるとのことであった。それを聞いたら今度は、なーんで、どーして、それが栄養になるのか、ものすごく不思議である。さっぱりわからない。でも、お母さんが言うのだからそうなのだろう、現に畑ではネギが育っている。僕は理由を追及するよりも、その現実を受け入れることにした。

でも、やっぱり僕にとっては不思議だった。僕はネギを食べる。栄養になる。そしてウ○チを出す。それが畑にまかれる。ネギの栄養になる。できたネギを僕が食べる。栄養になる。そして僕はウ○チを出す………。延々と続くのである。今風の言い方をすれば、これぞ「リサイクル」である、しかも永遠につづく。

僕は家にあるネギを見た。泥をつけたままの根っこが髭の様にくっついていた。土の中で広がっていたのだ。ということは、あの先っぽはウ○チにつながっていたのだ。僕の食べるネギは元をたどればウ○チなんだ。『うわーっ、きったねー』

いつものように食卓にネギが出た。味噌汁に入っている。僕はあまり考えないでネギを食べることにした。考えると食べられなくなりそうだった。実際今まで何度も、たくさん、食べてきたではないか、今さら考えてももう遅い、そう思って食べることにした。そしたら普通に食べられたのだった。

その後、日本の社会では下肥は衛生的な理由から使われなくなっていった。つまり、そこで永遠のリサイクルは途絶えたのである。
一覧へ戻る   次のコラムへ > ほっとコラム20 カエル