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小児科医のコラム20 カエル

コラム20 カエル

我が家の庭に瓢箪の形をした池がある。金魚を買ってきて放すと、餌をやらなくても自然に大きく成長していった。以前、池に落っこちたミミズを丸ごと呑み込もうとしているのを見たことがある。いくら大きくなった金魚とはいえ、一度に全部は無理である。大きく開けた口から太くて長いミミズのしっぽが水中に伸びて、ゆらゆらしている。金魚のイメージからかけ離れた、ちょっとグロテスクな光景である。しかし、その後ミミズのしっぽはしだいに短くなり、遂には消えていった。呑み切ったのだ。その間、金魚はずーっと大口を開けたままだったのである。さぞやあごが疲れたであろうと察せられるが、それよりも何よりも金魚の貪欲さにすっかり恐れ入ったのである。

冬、池には氷が張る。そうすると私は金魚が心配になった。酸素不足になるかもしれないと勝手に誤解していたからだ。一方、家内は池を心配していた。張った氷で池が壊れると思っていたからだ。だから、我が家では、朝のうちに確かめて、氷は割って取り出すようにしていたのである。当然、その分だけ水はだんだんと少なくなってしまう。水が少ないとやはり酸素不足が心配である。居心地も悪いだろうと思って、たまに水を流して足すのだ。地中の水道の栓をひねると、少し小高くなったところから水が出て、コンクリートの斜面を流れ落ちる仕組みになっている。滝のようにみせる作りなのである。水の出口は木の枝と葉に囲まれて隠されているから、自然に湧水が流れ出ている趣である。しかし、冬場はそんな風情を楽しんでいるわけにはいかない。寒いのだ。一気に水を流して、なるべく早く池の水を満たし、栓を閉めて、すぐにでも家の中に戻りたいのである。

今年の一月、池の底に沈んでいるカエルをみつけた。ひっくり返って腹を見せ、頭を池の底の方に向けている。両手はバンザイ、両足もピンと伸ばしたまま全く動かない。こんな時期にカエルを見かけるだけでも不思議だった。ましてや、どうしてこの冷たい水の中に飛び込んだのだろう。全身蒼白で、見るからに死んでいる。カエルだって急に冷たい水に飛び込んだら心臓麻痺を起こすのだろうか、そう思いながら私はカエルを放置したまま家に入った。網ですくい出してどこかに埋めてやろうという気持ちにはなれなかった。可哀想なカエルの死骸を目の当たりにするのは気が重かったのだ。怖くてすくえなかった。

翌朝、家内にその話をすると、そんなに悲しいのなら土に埋めてあげたらと言われた。おそるおそる池に行って見てみると、同じ場所で同じ姿勢のまま沈んでいた。金魚は相変わらず元気に泳いでいる。さすがにカエルは呑み込めないと思ったのか、ぜんぜん関心を示してはいなかった。私は網を池の底に差し入れて、そっとカエルに網をかけようとした。するとその瞬間、わずかに抵抗するような手ごたえが網から伝わってきた。動いたように感じられたのだ。死んでいればそのようなことはない。まさか、そんなはずはない、私はわが目を疑いながら網をすくいあげて、日の当たっている地面にひっくり返して中身を置いた。網をどけてみると、チョコンと枯草の上に乗っかっているではないか。全身が白っぽく背中に黒い筋のあるアマガエルだった。手足を縮めたいつもよく見かける格好でじっとしていた。驚きである。生きていたのだ。信じられない。

家内が様子を見に家から出てきた。私は興奮しながら驚きと喜びを伝えた。いつも池の管理をしている家内の推理によると、普段はコンクリートの斜面には水が流れ落ちてはいないから、そこに落ち葉が溜まって、その中でカエルが冬眠していたのではないかというのだ。しかし、いよいよ池の水が少なくなってきて、水を流し込んだ時に、落ち葉とともに押し流されたのだろうという。なるほど、そうかもしれない。いや、それしか考えられない。カエルもさぞやびっくりしたに違いない。いい災難だっただろう。

カエルは枯草の上でじっとしている。日が当たっているとはいえ、かじかんでいる気がする。冷たいプールから上がった時の方が寒いではないか。早くどこかに潜り込んでいってもらいたかった。しかし、カエルは動こうとはしない。見ていない方がいいのかもしれない。しばらく放っておくことにして、私と家内はいったん家に入った。小一時間たったころ見に行くと、もういなくなっていた。万が一どこかで行き倒れになっているのではないかと、よくよく探したがどこにもその姿は見えなかった。無事に次のねぐらを探したのだろう、私は一安心して家に戻った。

五月になって、私は庭に出て、網をひっくり返したあの場所をみた。枯草は雑草に生え変わっていた。草むらを見るとカエルがいるではないか。全身が白っぽくて背中に黒い筋がある。あの時と一緒だ。あのアマガエルである、間違いない。無事冬を越したのだ。そして、元気な姿を見せるために、会いに来てくれたのだ。うれしかった。私には、カエルの背中が「ありがとう」と言っているように思えてならなかった。
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