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小児科医のコラム21 玄関

コラム21 玄関

私が三歳か四歳だったころである。はっきり覚えている。私は母に叱られたのだ。「またやったら、いたずらするその手にお灸するからね」と捨てぜりふを言われた。何をやらかしたのかは全然思い出せない。だけど、わざとやったのではない、それだけは確かだ。気がつかないうちに、うっかり何かをしでかしたのだ。

ところが、それから間もなく、私はまた何かやってしまったらしい。外から帰ってきた私は玄関の戸を開けて家に上がろうとした。すると、玄関の音を聞きつけて、割烹着を着た母が出てきて言った、「またやったね。いたずらする悪い手だ、もうしないようにお灸すえるから」と。私が何をやったのか母に言われたのだが、それが何だったかは覚えていない。しかし、私は『しまった、またやっちゃった』と思ったのである。ついうっかりだった。悪気はなかったんだ。だけどそんな言い訳はできるはずもなかった。

問答無用である。母はもぐさを取りに奥に引っ込んだ。どうしよう、どうなるんだろうと気を揉んだ。この隙に逃げてしまえば逃げられなくはなかった。しかし、私にはそんなことおもいも寄らなかった。玄関の土間に立ちつくすしかなかった。母がもぐさとマッチを持って出てきた。私は右の手を差し出すように命ぜられた。手の甲が玄関の上がりかまちに置かれた。逃げないように、母は私の指の上に膝をついた。私の指はギューッと畳に押し付けられた。その重さから母の強い意志が感じられた。

人差し指の根元にもぐさが盛られた。マッチで火がつけられた。もぐさが煙を出しながら根元に向かってじりじりと燃えてゆく。数秒後に襲って来る熱さを思って、『ウワーッ』と目をつぶった。私にはそれ以後の記憶は飛んでしまっていて、思い出すことはできない。たぶん熱かったのであろう。その証拠に、右手の甲にやけどの痕ができた。それは一番目に付くところに今でも残っている。毎日見てきた。多分、一生消えないだろう。

数年後、私は幼稚園児になっていた。ある冬の日の夕方、私がこたつで夕御飯を食べていたときのことである。冬なので日が落ちるのが早く、あたりはもう真っ暗だった。玄関の戸が開く音がした。兄が帰ってきたのだ。台所の母は、音を聞きつけるとすぐに玄関先に飛び出て行った。そして、土間の兄に向って叱りだしたのである。こんなに遅くまで、どこ行ってたのか、何してたのかと。今何時だと思ってるんだ、親の気も知らないで、心配させるなと。

数メートル先で母が激しく叱責する声は、障子越しに私の耳にも鋭くとどいた。兄は家に上がらせてもらえないでいる。母のどやす声が続いた。私は兄のことを思った。『遊んでいて楽しかったんだろうなぁ、だからつい遅くなっちゃったんだ』『怒られてつらいだろうなあ、悲しいだろうなあ、お腹すいただろうなあ、疲れてるだろうなあ、早く家に上がりたいだろうなあ』と。ついさっきまでの楽しさが一変して、今、まさに今、叱られて悲しいのだ。自分だったらどんなにつらいだろうと思うと、兄が可哀想で可哀想でたまらなくなった。私は箸とお茶碗を持った手をこたつ布団の上に置いて、下を向いた。目に涙があふれ出てきた。そして、ぽたぽたと目から落下した。こたつ布団の上に、お茶碗の上に、そしてやけどした右手の上にも。

ひとしきり叱ったあと、母が戻ってきた。うつむいてすすり泣いている私を見て、母はおどろいたように声をあげた。「なんだ、あきちゃんが泣いているんかい。まあなんて優しい子だねえ」、母の声は優しい口調にもどっていた。私は母に褒められたのだが、うれしいどころではなかった。本当に悲しかった、兄を、自分をも。

あれから五十年近く経った。右手のやけどの痕を見ると、時々思い出されるのだ。