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小児科医のコラム22 「東行き16.4 ―前編―」

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コラム22  東行き16.4 ―前編―

平成二十二年六月のある日の午前六時四十五分ごろ、私は北関東自動車道を走行していた。梅雨の季節とはいえ朝から大ぶりの雨であった。前の車がもうもうと水けむりを巻き上げている。あまり接近しすぎると前が見えなくなるから危険である。私は走行車線の車の水けむりを避けるために追い越し車線を走ることにした。まだ早朝で交通量も少なかったし、他の車を追い越すほどスピードを上げて疾走する車もいなかった。それほど激しい雨だったのである。もし追い越そうとする車が後ろから迫ってくれば、自分が走行車線に車線変更して道を譲ってあげればよいのだ。私は時々バックミラーで後ろを確かめた。

わが家の車は大きなワンボックスのワゴン車である。乗用車に比べて運転席が高く視界はすこぶる良好である。四輪駆動車で悪路や高速走行では安定していたが、なにぶん重い車体なので加速は良くなかった。まるでトラックかバスを運転している感覚である。
大きくて重い車で片道小一時間の通勤は、精神的にも肉体的にも負担になった。それを少しでも減らそうと私は時間差通勤していた。朝は大体七時を過ぎると交通量が時々刻々と増えていくのだ。いつも同じ所で渋滞ができた。だから、もし家を出るのが五分遅くなると、仕事場に着くのが十分遅くなるのであった。渋滞が始まる前にそこを通り抜けてしまえばいいのだ。そうなるためには、自宅を六時二十分に出なければならなかった。途中は高速道路を利用するのである。

その日も六時二十分に家を出たのだが、この時間に遅れないように少し慌てたので携帯電話を忘れてしまっていた。気が付いたのは、最寄りのインターから高速道路に乗った後だった。おいそれとは取りに戻ることはできない。なにしろ朝の時間は貴重なのだ。『しかたがない、なくてもどうにかなるだろう』と、諦めて運転を続けた。 それにしてもひどい雨である。大粒の雨がザーザーと後から後から降っていた。しかし重量のある四輪駆動の車はしっかりと路面を捉えて、いつも通りの八十キロ走行で安定して走っていた。関越自動車道から高崎ジャンクションを経て北関東自動車道に入り、約十分で伊勢崎インターを通過した。目指すは次の太田藪塚インターである。あと五キロちょっと。

予定通りの時間経過で車は順調に進んでいった。力強く前へ前へと進む車に、私は体が運転席に沈み込むような感じがしていた。伊勢崎インターを過ぎて一キロほど走ったときだった。急に体が座席からすっぽ抜けたように感じた。沈み込む感じが突如消えたのである。一瞬何が起きたのかわからなかった。しかし、尋常ならざる事態であることは直感できた。これから繰り広げられるであろう異常事態を予感した。私はアクセルペダルを踏み込んでみたが、まるで反応がなかった。焦る気持ちを抑えて耳を澄ましてもエンジン音は聞こえてこない。突然のエンジンストップにより惰力走行に変わったのであった。

ゆるやかにスピードが下がってくる。真っ先に、私はエンジンを再始動させようとイグニッションキーを回すかどうしようか考えた。速度計などの電光掲示は点いている。ワイパーも生きている。電気系統は大丈夫の様だ。しかし、オートマチック車が惰力走行している最中にそんなことしても大丈夫なのか、車が壊れるか、事故を起こすか、見当もつかない。それよりも何よりもまず車線変更だ。このままでは追突される。後ろの状況をミラーで見る余裕はない。走行車線に車がいるかも分からない。雨と自分の車の水けむりでよく見えないのだ。見て判断する余裕もなかった。

ハザードランプを点滅させるのだ。スイッチはどこだ。普段あまり使わないから思い出せない。焦っているから目が泳ぐ。見つけるのに数秒かかっただろう。スイッチを押した。点滅が始まってから数秒間経過するのを待った。その間に後ろの車に異常事態が十分伝わることを祈った。それからウインカーを左に出した。数秒間ウインカーが点滅するのを待った。となりの走行車線に他の車がいても、私の車を十分回避できるように間合いを取ったのである。私はゆっくりとハンドルを左に切った。こちらの挙動をゆっくりにすれば、回避できるだろう。ゆっくりゆっくり追い越し車線から走行車線へ、そして路肩へと車線変更していった。幸い、他の車にぶつかることも接触することもなかった。

私は、そのまま路肩の惰力走行を続けた。携帯電話を忘れてきたことを思い出したのだ。非常電話を探さなければ。一キロメートルごとに設置してあるはずだ。進行方向のガードレールを見渡したが、電話ボックスらしいものは見当たらない。遠くは雨に霞んで見えなかった。もしかしたら、たったいま通り過ぎて見過ごしたのか。このどしゃ降りの中、できるだけ電話機の近くまで走ってくれと祈った。スピードが徐々に落ちてきたが、遠くにそれらしいものが見える。車はよろよろと力なく進む。なかなか近づかない。もどかしい。もっと走れ、もっと走れと念じながら、運転席で上半身を前後にゆすってハンドルを押した。少しづつ、ゆっくりと、距離が縮まってきた。もうすこしだ。歩く程度の速さにまで落ちた。もう止まるか、もう止まるか、と思ったが、意外と粘り強く走り続けた。もう目前だ。いよいよだ、ついに、ついに止まったのであった。何と言うことか、ピッタリ電話ボックスの真横である。助手席越しに非常電話が見えた。これは不幸中の幸いというものだろう。

サイドブレーキを引いて、オートマのギアをニュートラルにもどした。何が原因かわからない。少しほとぼりが冷めれば直るかもしれない。とりあえずしばらく時間が過ぎるのを待った。それからイグニッションキーを勢いよく回した。武者震いの様な振動とともにブロォォンと音がした。かかったと思った瞬間、音は沈黙した。自分の置かれた状況をどう切り抜けるか、考えが進まない。もう二回試したが、だめだった。いよいよ人の助けを求める覚悟をきめなければならなかった。

時折すぐ右側を車が疾走してゆく。ものすごい水けむりが巻き上がる。運転席から外に出るのは危険だ。センターコンソールをまたいで助手席に移り、路肩側から車を降りた。大粒の雨が間断なく降ってきて頭や肩にあたる。ガ−ドレール越しに電話ボックスの扉を開けた。扉の内側に大きく「東行き16.4」と書かれてあった。何のことだ。電話ボックスの識別番号か。現在位置を示す表示か。わかった、「東行き」は車線の名前だ。北関東自動車道は東西に延びる道路だから、「上り」や「下り」ではないのだ。反対車線は「西行き」なのだろう。「16.4」は何だろう。起点の高崎ジャンクションからの距離か。伊勢崎インターまでが十四キロメートルちょっと、そこから二キロぐらいは走ったから多分そうであろう。妙に納得した。焦っている自分と、冷静な自分がいた。

私は受話器を取ると、自動的にどこかの事務所につながった。「こちらは、東行き16.4の電話から電話しているものですが…」