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小児科医のコラム23 東行き16.4 ―後編―

コラム23 東行き16.4 ―後編―

「こちらは、東行き16.4の電話から電話しているものですが…」
「どうされました」
「車が故障しました。事故ではありません」
「どんな状況ですか」
「時速八十キロで定速走行していたんですけれど、伊勢崎インターを過ぎてしばらくしたら突然エンジンがストップしてしまいました。この電話ボックスの真横の路肩に止めて、ハザードランプを点滅させています」
「わかりました、どこか契約しているロードサービスはありますか」
「はい、××です」
「わかりました、そちらに電話をまわしますから、そのまま受話器を持っていてください」

 どこの管理事務所かわからないが、対応してくれた人は落ち着いた口調であった。携帯電話を忘れた私には、他に助けを求める手段はない。この非常電話が切られる前に、何としてもロードサービスへの連絡を頼まなければならないと、そればかりを危惧して受話器にすがりついたのであった。しかし、こちらから言い出す前に、向こうからロードサービスにつないでくれると言う。ホッとした。手慣れたものであった。
呼び出し音が鳴りはじめた。私は思った、警察には連絡されないのかと。パトカーが呼ばれて、警察官に囲まれて、実況見分が行われ、車の整備不良を指摘され、叱られて切符を切られるのかと思ったのである。しかし、さっきの電話の様子からは、どうやら警察沙汰にはならなくてすみそうだ。ただ単独で車が故障しただけなのだ。事故にもなっていない。そんなことでいちいち出動していては警察もやってられないだろう。考えてみればそうだ。だけど私には初めてのことで、舞い上がっていたのである。私は胸をなでおろした。

ロードサービスにつながった。事情を説明した。ガス欠でもバッテリー上がりでもないことを。すると、およそ三十分くらいで到着できるでしょうとの答えであった。たぶん救援が前橋インターから高速道路に乗ってくるのだ。やれやれ、なるようにしかならない、あとは待つだけだ。私は助手席に乗り込んだ。雨で濡れてしまった。寒い。ヒーターもつけられない。チッカッ、チッカッとハザードランプの音が繰り返し鳴った。午前七時であった。

バックミラーを見ていると、雨で煙った向こうから赤色灯を装備した車が近づいてくるのが分かった。後方の路肩に離れて停車して、ハザードランプを点滅させていた。ときどき見かけるブルーのレッカー車であった。ロードサービスの隊員が降りてきて、発煙筒を灯して路肩と車線の境目の白線上に置いた。赤く鋭い光を放った。私は助手席から降りて近づいて行って、あいさつした。もう一台後から来るからそれを待つようにと言われた。先に来たレッカー車は、危険を知らせて追突事故を防ぐ役割であった。

しばらくして、二台目が到着した。車を積載できる大きな車であった。経緯を話して、その場でみてもらった。しかし、エンジンは一向にかからず、現場では治りそうもない。いったん高速道路から運び出すことになった。荷台がせり出すように動いてスロープになった。私の車はウインチで巻き上げられ、完全に荷台に乗ってしまった。四輪駆動車はレッカー車ではけん引できないため、車ごと積載して移動するのである。私は助手席に乗せられた。
次の太田藪塚インターで高速を降りて、そこの駐車スペースに乗り入れた。もう一度応急処置が試みられたが、治ることはなかった。隊員の話によると、高速道路を走行中に突然エンジンが動かなくなるような事例はあまり多くはないのだそうである。原因は不明だが相当な故障が予想される、いずれにしても整備工場に搬送するというのであった。

「どこにいきますか」と、隊員から訊ねられた。私は唖然とした。そんなこと急に聞かれたって、分かるはずないじゃないか。まさか、近くに知り合いの整備工場があるはずもないのだから。私は車を買ったディーラーでいつも車検整備を頼んでいたから、そこしか知らない。仕方なく隊員にディーラー名を告げた。荷台に私の車を乗せたまま、折り返しそこから元来た方へ向うことになった。北関東自動車道の「西行き」車線である。

助手席に乗りながら私はガードレールに付けられている数字の書かれたプレートをみていた。数字は高崎ジャンクションを起点とする距離を示している。だから高崎方面へ百メートル進むごとに数字が0.1ずつ減っていくのである。数字のカウントダウンが16.4になったときに反対車線を見ると、先程の電話ボックスが通り過ぎてゆくのが見えた。レッカー車はすでにいなくなっていて、何事もなかったかのようであった。

しばらく走行したのち、隊員の人は運転しながら手元の計器らしきものを操作し始めた。そして私に言った、「このままだと既定の距離を超えてかなり長い距離を搬送することになるから、だいぶ追加料金がかかりますけど、よろしいですか」と。私はその計器を覗き込んで、おもわず目の玉が飛び出そうになった。十五万数千円という金額であった。私は金額をひとけた多く読み間違えてしまったのであった。今考えると、それがおかしいと気が付きそうなものだが、相当舞い上がっていたのであろう。疑いもせず、随分高いものだなあと恐れ入ってしまった。もったいないなあ、どうにかならないかなあと思案した。私はふと思い出した。この先のインターの近くを通過するときに、確か同じ系列のディーラーの看板が見えていたことを。そちらにすればだいぶ距離が短くなる。余計な出費が抑えられる。私は隊員の人に行先の変更を申し出た。そのインターで降りて看板を頼りに進んで行くと、ディーラーの営業所にたどり着いた。午前八時であった。

駐車場に乗り入れて、私の車が荷台から降ろされた。私は隊員に追加料金を支払い、礼を言って別れた。整備士らしい作業服の人がいたので訳を話したら、営業の者が八時半に出勤するから、それまで待つように言われた。私は営業所のフロアーで来客者用の椅子にすわった。ガラス越しに見える表の通りには、通勤と思われる車が行き来していた。いつもと変わらない朝の光景だった。

病院の外来診療は九時から始まる。それにはもちろん間に合わない。相当遅れる見込みであることを連絡しなければならない。そうでないと病院は非常に困惑するだろう。患者さんに迷惑がかかる。自宅にも連絡を取りたかった。携帯電話をここまで持ってきてもらうのだ。ないと困るのが身に染みた。

やがて営業の担当者が出勤してきた。私は修理の依頼と代車を希望する旨を申し出て、電話を借りた。病院に電話すると、交換手の人が出た。まだ八時半なので外来のスタッフはいないという。遅れることを伝えてもらうことにした。次に自宅の妻に電話したら、驚いた様子であった。まあ当然である、本当に大変だったのだから。朝の渋滞の中、市街地を通り抜けて、ようやく携帯電話が手元に届けられた。妻とは約三時間ぶりの再会であった。

代車の用意できましたと、案内された。それは高級ワゴン車であった。車両に傷などないか、係の人と一緒に車を一周して見て回った。使用中にぶつけたりしたら、その責任の所在が明らかになるための事前の確認であった。傷はおろか汚れた形跡など微塵もなかった。次に、運転方法についての説明が続いた。車の基本操作に新しい機構がいろいろと組み込まれてあるのだ。聞き洩らすと大変だ。言われるとおりにするしかない。私の頭脳は既にいっぱいいっぱいだったが、必死に聞いて頭に入れた。

私は代車に乗り込んだ。やけに新しい。走行距離計を見て驚いた。まだ何キロも走ってはいない。正真正銘まっさらな新車である。たぶんこの車で公道を走るのは私が初めてだろう。ちょっとでもぶつけたり傷つけたり、ましてや壊すわけにはいかない。恐る恐る腫れ物にでも触るように慣れない運転を始めた。改めて病院に向かうのだ。

私は、再び高速道路に乗った。北関東自動車道の「東行き」車線である。百メートルごとにガードレールに張り付けてあるプレートの数字は、進むごとに0.1づつ増えていった。16.3を過ぎたところで、あの電話ボックスのわきを通り過ぎた。雨はだいぶ小降りになっていた。

代車に傷を付けることもなく、故障させることもなくお目当ての病院に到着した。ここにたどり着くまでに、いろいろなことが次々とめまぐるしく起こった。その都度さまざまな人のお世話になった。小児科外来に入っていくと、いつもの看護師さんがいつもの声で「せんせー、だいじょうぶですか〜」と言った。それを聞いて私はホッとして力が抜けた。時刻は十時三十五分、窮地を脱したのである。激闘の四時間であった。