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小児科医のコラム26 オリンピック

コラム26 オリンピック

昭和三十九年に東京オリンピックが開催された。記念硬貨、記念切手が発行され、東海道新幹線が開業したのである。そのとき私は小学一年生で、オリンピックというものを初めて知った。四年に一度しか行われないという。世界中の人を魅了するすばらしい企画だと思った。それが日本で行われるのだ。日本が世界のひのき舞台になるのだ。それを見ることができるのは、何と幸運なのだろう。次に日本にまわって来るのは何十年後、いや何百年後になるのか。自分が生きている間には二度とないだろう、子どもの私でさえそう思った。我が家では、祖母が大枚をはたいてカラーテレビを購入した。オリンピックをカラーで見られれば冥土の土産になると誰かが言ったが、それは子どもの私にとっても同じだと思った。

そしていよいよ大会初日を迎えた。開会式、各国の選手団の入場行進、カラーで見た。画面に映る青い空がすがすがしく、アナウンサーの晴れがましい声が印象的だった。私の期待は否応なく高まって行った。そして、日本人選手が活躍する競技を見るにつけて嬉しくなって、体に力が湧いてくるような気がした。ところがである、その反対に日本人が足元にも及ばない種目もあった、しかもそちらの方が多いのだ。意外である。なんたることか、私は大いに不満を覚えた。せっかく日本で行われる大会なのだから、私は当然どの種目も日本人が活躍するものと勝手に決め込んでいたのである。ところが現実は違っていた。世界には強豪がひしめいていた。競技の結果は実力次第、公平なものであった。私は「世界」という存在の大きさを感じた。井戸の外の大海を知ったのである。そして、私はどうしてこんな思い違いをしたのか。結果を期待する思いばかりが先行して、客観的に考えることが疎かになってしまった。それで独りよがりの考えに陥ったのだ。今後は気を付けようと思った。

記録によると、陸上競技は男女合わせて三十六種目が八日間にわたって行われている。その初日に行われた男子の一万メートル走で円谷幸吉選手が六位に入賞する健闘をみせた。しかし私にとってメダル獲得しか眼中になかった。三十五種目が終わって入賞はそれだけ、メダル獲得など及びもつかなかった。しだいに不満が募っていった。 そして最後に残った種目がオリンピックのハイライトである男子マラソンであった。全行程が生中継された。テレビ画面で選手をずっと追い続けて見た。結果は、エチオピアのアベベ・ビキラ選手が断トツでゴールしてオリンピック史上初の二連覇となった。文句なしの金メダルであった。そして次に国立競技場にもどってきたのが日本の円谷選手であった。二位である。いままでの成績不振を跳ね返すようである。先頭集団が脱落していくなかで驚異の粘りを見せたのであった。あと数百メートル、このままゴールすれば銀メダルだ。テレビから目が離せない。一歩一歩、走るにつれて期待が高まった。見ている方にも力が入った。心の中で叫ばずにはおれない、『ガンバレーッ、ガンバレーッ』と。全力で走ってきたのだ。頑張っているのだ。できるだけ早く走っているのだ。もうこれ以上速く走れないのだ。

円谷選手の少し後ろには外国人選手がついてきていた。この選手だって同じだ。二人とも頑張って走っているのだ。死力を尽くしてきた、その果ての走りだ。精一杯なのだ。だからこのままゴールすると思って見ていた。しかし、あと三百メートルを切ったところで信じられないことが起こった。外国人選手がスピードを上げてラストスパートをかけたのである。私は自分の目を疑った。円谷選手にだんだん近づいて行って、非情にもそのまま抜き去ったのだ。こんなことってあるのか、信じられない。余力を残していたのだ。今までは全力ではなかったのか。この外国人選手に騙されたような気分になった。円谷選手を応援する気持ちと、抜かれた悔しさと、外国人選手に対する恨みがましい気持ちとが交錯した。『抜き返せ、抜き返せ』と念じたが、差は開く一方だった。円谷選手はもう余力を残してはいなかった。今まで走ってきたスピードを保つのが精いっぱいだった。もうほかの選手との勝負ではなく、いかに早いタイムでゴールするか、真っ正直に全力で死力を尽くしていたのだ。

円谷選手は自己ベストを二分近く下回るタイムでゴールして、銅メダルをもらった。見ていた私は素直には喜べなかった。順位争いでは外国人選手に負けたのである。抜かれなければ銀メダルだったのに。もう少しで銀メダルだったのに。むしろ残念な気持ちの方が強かった。せっかくの銅メダルが色あせてみえた。それは陸上競技日本代表の唯一のメダルであった。

後日、小学校の授業で担任の先生が円谷選手の話をされた。どんなに頑張ったのか、どれほど努力したか、そして全力を尽くして立派な成績を上げたことを褒めたたえる話であった。たぶん先生は、こどもにやる気を出させるためにお話しされたのだろう。私は先生の話を感心して聞きながら、それでもゴール直前で抜かれたシーンが頭に浮かんできて、悔しさがくすぶった。円谷選手の努力と頑張りはよく分かった。触発された私は、『よおし、ぼくもがんばらなくっちゃ、負けたくはない』と思った。そして、『うかうかしてはおれん』、『今から体を鍛えるのだ、一刻も無駄にするな』と意気込んだ。今は授業中だから椅子に座って机に向かっていなければならない。だけど、膝から下は自由である。ここは授業中でも鍛えることはできる。そう思って、膝から下だけを激しく動かして走る練習を始めた。上半身は勉強する体制を保ったのである。
それはすぐ先生の目に留まっていきなり注意された、「ひきまくん、何やってんですか。今は授業中ですよ。じっとしてなきゃダメでしょ」と。私は一瞬にして意気消沈した。『先生がけしかけたようなもんじゃないか』、『ちゃんと理由があるんだよ』と内心思った。でも、先生に説明するのは到底無理だとすぐに悟った。叱られ体験だけが残った。そして休み時間になったが、私はもう自分の体を鍛えようという気にはならなかった。

オリンピックが開催されるたびに思い出されるのだ、自分は思い入れが強くなると考えが浅くなっていらぬ勘違いするから気を付けなければいけない、と。そして、子どもの行動にはいちいち深〜くて浅〜い理由があるんだから大人はいきなり叱っちゃだめだよ、と。