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小児科医のコラム36 トイレの神様

36 トイレの神様

平成二十三年、「トイレの神様」という曲が流行った。紅白歌合戦にも出場したらしい。私はこの曲がどんな曲かはよく知らないが、この題名を聞いて自分にもトイレの神様に関する思い出がよみがえってきた。そして、私は死んだら天国に行きたいと思うのであった。

今から四十数年前、私は教会の日曜学校に通った。何年間も通ったが、結局小学校高学年になる頃には行かなくなってしまった。教会の人には誠に申し訳ないけれども、少年の私には残念ながら信仰心が育たなかったのである。牧師さんが「神様を信じましょう」と仰った。「信じれば、自分の犯した罪を許してくれて救ってくださる、天国に行くことが出来る、きっとどこかで見守ってくださっている、だから信じましょう」と説かれるのであった。だけど、私にはどうやったら信じられるようになるかが分からなかったのである。その方法を教えてくれるわけではなかった。そこで私は自分なりに信じてみようと試みた。息を止めて念じた、『信じろ、信じるんだ、信じろよ、信じてみろよ、信じれ』と。何度も繰り返した。しかし、その後で自問してみても、信じられるようになったとは到底思えなかった。牧師さんはいろいろな逸話も話してくれた。よほど話し慣れているとみえて、何も見ずにすらすらと話してくれた。暗記しているようである。話し方もうまいのでつい引き込まれて聞いたのであった。しかし、物語としては面白いけれど、それが実際にあったとはとても思えない。だから、一向に信じることは出来なかった。打っても打っても響くことのない少年だったのだ。私は牧師さんに何だかすまないような気がした。でも、どうにもならなかった。

日曜学校では神様にお祈りすることも教わったが、今となっては断片的にしか思い出すことができない。お祈りの順序としては、まず神様へ呼びかける言葉「天にましますわれらの父よ」を言って、それからは確か、見守ってくれていることへの感謝の言葉、今日の食べ物を与えてくれることへの感謝の言葉、自分の罪を悔い改める言葉、願い事、そして最後に「アーメン」というのであったと思う。お祈りの言葉の難しい言い回しは、意味も分からないままに暗唱した。

てんにましますわれらのちちよ
ねがわくばみなをあがめさせたまえ
きょうのかてをあたえたまえ
…………
イエスさまのなによっておいのりいたします。アーメン

ところが、私は日曜学校から家に帰るとお祈りなどめったにしなかった。ただし願い事がある時は別であった。一番よく祈ったのは寝る前だった。布団に入って目をつぶり手を組んで願いごとをするのである。 『てんにましますわれらのちちよ、
ねがわくば……、
どうか目が覚めた時には僕がアトムになっていますように。
イエスさまのなによっておいのりいたします。アーメン』
私は当時の人気アニメ鉄腕アトムが大好きであった。そして、どうしてもアトムになりたくてしかたがなかったのである。だけど、そんなことが出来るのは神様くらいしかいない。だから、そのときこそは真剣に祈ったのである。でも、残念ながら奇跡は一度も起こらなかった。目が覚めたら一番に蒲団をまくってみるのだが、私は寝間着すがたのままであった。あきらめずに何度もお祈りした。しかし翌朝になると期待が外れてガッカリしたのであった、「また駄目だったか」と。なかなか神様には願いがとどかないのかなあと思った。ということはつまり、私はアトムになりたいがためにこの時ばかりは神様を信じていたのかもしれない。そしてさらには、私がアトムに変身していたのなら、本当に信じることができたのであろう。

神様へのお祈りはなにも自分のためだけにするものではなく、自分以外のものに関して祈ってもいいのである。そして、何時でも何処でも誰でも自由に祈ってよいのである。時間や場所に特に制限はないのである。私にしてはめずらしく、自分の願い事以外でお祈りしたこともあった。それは「朝のトイレ」であった。

その当時の我が家のトイレは「便所」と言った方がぴったりくる場所であった。大正末期に建てられた土壁と木でできた純和風の古い家で、当然トイレも和式である。そして今では珍しくなってしまったが、汲み取り式であった。そこで使用される紙はやや長方形に裁断された紙で、「べんじょがみ」と呼ばれる代物であった。私はその便所紙のために祈りをささげたのであった。

ある日の朝、僕は便所でいつものように「大」をした。そしてお尻を拭くために便所紙を何枚か手に取った。いつもなら何も気にせずにそのまま拭いてしまうのだが、その日はなぜかその便所紙が目に留まった。私は紙をまじまじと見つめたのである。この紙はお尻を拭くために作られたものだ。今はきれいだけど、僕がお尻を拭いたら汚くなってしまう。そして、僕の手から離れて便壺に落ちてウンチまみれになるのだ。きれいでいられるのも後わずかな時間だけだ。僕はその紙がとってもかわいそうに思えてきた。申し訳ない気持ちでいっぱいになって、『ごめんね』と心の中であやまった。この紙をどうにかつぐなってやれないものかと思った。僕は神様にお祈りすることにしたのである。
『てんにましますわれらのちちよ
ねがわくばみなをあがめさせたまえ
きょうのかてをあたえたまえ
いつもみまもって下さりありがとうございます
ぼくのおかした罪をおゆるしください
そしてお願いがあります
この紙はもうすぐ僕のお尻を拭いて汚されて、便壺に落ちてしまいます。
神様どうぞこの紙を見守り下さい。そしてまたきれいな紙に戻してあげて、天国に行かせてください。どうか、お願いいたします。
イエスさまのなによっておいのりいたします。アーメン』

それから僕は紙に向かってもう一度『ごめんね』と念じてお尻を拭いたのである。そして次にまた便所紙をひとつかみ手に取った。もう一度お尻を拭くためである。新たに手にした紙を見た。この紙もさっきの紙とおんなじ運命だ。さっきの紙にお祈りをささげたからにはこの紙にも祈ってあげないと可哀想だ。僕は目をつぶった。
『てんにましますわれらのちちよ
ねがわくばみなをあがめさせたまえ
きょうのかてをあたえたまえ
…………
この紙もさっきの紙とおんなじようにもうすぐ汚れて、便壺に落ちてしまいます。
神様どうぞこの紙も見守り下さい。そしてまたきれいな紙に戻して天国に行かせてあげてください。どうか、お願いいたします。
イエスさまのなによっておいのりいたします。アーメン』

僕は紙に向かって『ごめんね』と念じてお尻を拭いた。そしてまた次の紙を手にしたのである。僕は祈らずにはおられなかった。
『てんにましますわれらのちちよ
(以下同文)…………
イエスさまのなによっておいのりいたします。アーメン』

僕はお尻を拭くたびに祈った。お尻は何回も拭かなければならない。だから、その回数だけ祈ったのである。本当に便所紙が可哀想だった。せっかくこの世に生まれてきたのに、陽の目を見ることもなく便所で汚されて棄てらる運命なんて。だから心の底から真剣に神様にお祈りしたのである。ということは、私は便所紙を救ってやりたいがために、この時ばかりは神様を信じていたのかもしれない。

次の日の朝も同様であった。トイレにやたらと時間がかかるようになってしまったのである。当然、遅刻しそうになる日もある。いよいよ時間が差し迫ってしまうと、最初の紙のお祈りだけにして、あとの紙のは省くこともあった。心の中で『ごめん』と言って、紙を見ないようにしてお尻を拭くのである。見ると可哀想で祈りたくなってしまうのだ。そうしているうちに私はだんだん祈ることをはばかるようになって行ってしまった。やっぱり信仰心が薄かったのだ。

時代が変わって、洋式のトイレが和式の便所に取って代わって普及していった。便所紙もトイレットペーパーに取って代わられた。我が家の便所も洋式にリフォームされたのである。しかも水洗のウォシュレットだ。お尻を温水で洗ってしまうから、トイレットペーパーはお湯を拭き取る役割に代ったのだ。私の紙に対する罪悪感は自ずと薄らいだのである。さらに、最近ではお尻を温風で乾かす機種もあるそうである。そうなるとトイレットペーパー自体もいらなくなって、私は紙に対する罪悪感から完全に解放されるのだろう。

しかしその後も私は神様を心から信ずることは出来なかった。日曜学校の牧師さんに対してはずーっとそのことを引け目に感じていた。しかし、大学生になって文学の単位をとった時のことである。かなり年配の温厚そうな教授が言うには、文学の上にあるのが哲学で、さらにその上に位置しているのが宗教である。だから精神性が高い人でなければなかなか宗教の境地には至れないのだと。それを聞いて合点がいった。自分はこれまで文学さえもろくに親しむような人間ではなかった。すなわち、精神性というやつがまだまだ低かったのだ。今までの負い目がとれた気がした。これからいろいろなことを経験したり学んだりして、精神性を高めてゆけばいいのだ。そうして、死ぬまでに自分も神様を信じられるようになれればいいと思う。そうなれば私も天国に行けるかもしれない。


年末のご挨拶
この一年間、たくさんの方々にコラムを読んでいただくことができました。
ほんとうにありがとうございました。
読んで少しでも「ほっと」してもらえれば幸いです。
来年の最初のコラムは、「天ぷら屋」を予定しています。
お楽しみにしていて下さい。
そしてみなさま、
どうぞよいお年をお迎えください。