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小児科医のコラム37 天ぷら屋 前編

コラム37 天ぷら屋 前編

タクシーに乗る時、私はいつも緊張するのである。タクシー代を払うのが心配なのだ。とはいっても、お金が足りなくなる心配ではない。問題なのは釣銭である。受け取るか受け取るまいかいつも悩まされるのだ。もちろん高額なお釣りは必ず受け取るのだが、厄介なのは少額の場合だ。「お釣りはいいです」と言って断ろうかどうしようか、気が気ではないのだ。少額のお釣りを断ったら運ちゃんはどう思うだろう。単純に喜んでくれればいいのだが。もしかしたら、ほんのわずかな金額でもって人に恩を売るようなみみっちいお客と思われないだろうか、不安である。それとは逆に、釣銭を受け取ったりすればどんな少額の金をも惜しむけちんぼに思われないだろうか、心配である。どっちにしても私には後味の悪い思いが残るのである。

少額の場合、たいていは「お釣りはいいです」と言って断るようにしている。言うタイミングが少しでも遅れると運ちゃんがお釣りを返して来てしまう。だから、お金を差し出しながら言うのである。端数を切り上げた金額を財布から取り出すのであるが、それもまごまごとはしていられない。運ちゃんがお釣りを予想して準備してしまうのだ。そう思うと余計に焦ってあわてる。だから、目的地に近づくにつれてだんだん落ち着かなくなる。いざ到着してタクシー代が決定すると、その瞬間に緊張は頂点に達するのである。
さらに、代金を払った後で私は逃げるように下車するのである。いかにも急いでいる風を装うのだ。そうすれば、『このお客はそんな少額のお釣りをもらっているよりは少しでも急ぎたいんだろうな』と運ちゃんは思うかもしれない。少なくとも表面的にはそのようにとりつくろうことが出来る。後味の悪い思いをすこしでも避けることが出来るのだ。
つまり、タクシーの支払いにはスピードとタイミングと演技力が必要とされるのである。本来はもらって当然のはずの釣銭なのだが、私は運ちゃんの目を気にするあまりこれだけ気を揉むのである。我ながら自分のことを変だと思うのだが、分かっていてもどうにもならない。

ある日、私は飲み会に行くためにタクシーに乗った。その日の会場は私の知らない天ぷら屋だった。何でも、カウンターの席で揚げたての天ぷらを食べさせてくれるのだそうである。店の名前を運ちゃんに告げると、タクシーは裏道を通って程なく目的のお店に着いた。メーターを見ると九百五十円であった。私は金を払わなければならない。千円札一枚出せばお釣りは五十円だ。私は、『五十円かぁ、ちょっともったいないなあ』と思った。お釣りを受け取るか断るか気持ちに迷いが生じたのである。これが三十円だったら、私としては惜しくはない。運ちゃんだって集金袋から十円玉を三枚も探して取り出すのは手間がかかるだろう。それがしないで済むのだ。だけど、五十円だ。断るには惜しい気がする。運ちゃんだって五十円玉一つを取り出すなんてそんなに手間はかからないだろう。財布から千円札を取り出すわずかな時間、私にはいろいろな考えが頭に浮かんだ。

私は千円札を差し出しながら「これでお願いします」と言った。「お釣りはいいです」とは言えなかった。運ちゃんは予想していたのだろう、すかさず「はい、お釣り」と銀色のコインを一個返してきた。私は自分のことを『五十円をケチるような器の小さい人間なんだなあ』と思いながらそのコインを受け取った。ところがである。そのコインには穴が開いていない。大きさも五十円玉より一回り大きいのだ。暗がりの中でよく見ると百円玉であった。間違いかと思った。「これ、百円ですけど」と言ったら、脂ぎったガマガエルの様な顔の運ちゃんが振り向いて、「いいよ」と破顔一笑した。「いいんですか」と聞き返したが、運ちゃんはニコニコして「いいよ」というのである。私は訳が分からないまま「ありがとうございます」とお礼を言って下車したのだった。

私は五十円のチップをためらったというのに、運ちゃんはその反対だった。頼まれもしないのに五十円をサービスしてくれたのだ。まるで立場が逆転したかのようである。しかし、それにしても不思議だ。タクシー代を自発的に負けてくれる運転手など、およそ聞いたこともない。キツネにつままれたような気分である。私は天ぷらを食べながらどうしてなのかをつらつらと考えてみた。そして、一つだけ理由がひらめいた。さもありなんと思い当ったのだ。

私がタクシーに乗ったのは母の住む実家からであった。タクシーは母に頼んで呼んでもらった。母は足が悪いのでしょっちゅうタクシーを利用しているらしい。つまりお得意様という訳である。しかし、だからといってそれだけで私のタクシー代を負けてくれたわけではないであろう。実は私の母はタクシーに乗るときにはいつも缶入りのコーヒーとかお茶を手にして乗るのである。そして、降りる時に「これ飲んで下さい」とサプライズで手渡すのである。そうすると運転手さんが本当にうれしそうな顔をするのだという。母は人の喜ぶ顔が見たくて毎回そうするのである。だから缶コーヒーやらお茶やらが箱で買ってあって、それが玄関先に置いてあったのだ。何でこんな所にこんなものが大量に置いてあるのか不思議に思って聞いたら、そういう訳だった。母は宅急便の配達の人にも同じようにするのだという。夏場など暑くて大変だろうからと、冷蔵庫から冷えた缶を出してきて渡すそうである。何ておめでたいお人好しだろうと思う。母に言うと、「こんなものでも人にあげればあんなに喜んでもらえるんだから安いもんだよ」と反論するのである。おそらく母はこの近辺のタクシー業界や宅急便の業者の間では評判になっているのだろうと思われる。そして今日、その母から呼ばれたタクシーに乗ったのが私だったのだ。運ちゃんは私が息子だと分かったのだろう。この人も母からいつもいつも缶コーヒーをもらっていたのだ。だから今日はせめてもの恩返しと思って、息子の私のタクシー代をサプライズで負けてくれたのであろう。だからあの運ちゃんはあんなに嬉しそうな顔をしていたのだ。そうに違いないであろう、それ以外考えられない。

私はようやく合点がいった。そして、目の前には揚げたての天ぷらが置かれた。塩を付けて食べたら実にうまかった。