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小児科医のコラム46 日本自動車博物館 その二

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コラム46 日本自動車博物館 その二

平成二十三年四月二十二日、私は一台のトラックを見送った。茶色い幌付きのトラックで日本自動車博物館と書かれてある。ゆっくりと表通りに出ていった。この先、最寄りのインターから高速に乗って石川県小松市に戻ってゆくのだ。荷台に乗せられてあるのは私の車である。二十六年間も大切にしてきた。それをたった今博物館に引き渡したのである。これからは保管されていずれ展示されることになるだろう。ウインチで巻き上げられて荷台に乗せられてゆく後ろ姿を見るとなんだか永の別れの様に感じられた。たかが車とはいえ私にとっては身内の人間と同様だった。

その車は「トヨタ・マークU」のハイグレードモデル「グランデ」、しかもツードアのハードトップ。私にとっては二台目の車だ。元々は伯父さんのものだったのだが、急に亡くなってしまい私が譲り受けたのである。伯母さんにも思い出がたくさん詰まった車だろう。伯父さんの形見と思って大切に乗ろうと思った。たとえ古くなってもできるかぎり修理して乗り続けるのである。そうすれば伯母さんも喜んでくれるだろう。大事に大事に乗った。

伯父さんは通勤に使うのに安全を一番に考えて大きいこの車を選んだとのことである。もし事故に遭ってもなるべく怪我が小さくて済むようにである。だからオプションで衝撃吸収バンパーまでつけてあった。一応五人乗りではあるが後席は狭くて大人が乗るのはつらいものがある。ましてやツードアだから乗り降りも不便だ。ということはすなわち、運転席と助手席のためのスタイルが重視されたラグジュアリーな車なのだ。伯父さんは社会的地位も高く体格も立派な人だから、この車がぴったりだったのである。

しかし、医者の駆け出しである私にとっては身に余る高級車であった。搭載されている直列六気筒エンジンはかかっていることを忘れてしまうほど静かである。耳を澄ますとエンジンルームの方から鈴が鳴っているような音が聞こえた。それまで乗っていた車は野性的に唸りをあげるワイルドな車だったからなおさら軽やかに聞こえた。出力特性も緩やかである。ゆるやかに加速してゆっくり走るのが合っているのだ。それに、大きい車だから曲がるのも大回りだ。スポーツ車のように、スピードを出したり、きびきびと走るのとは違っていて乗り心地優先の車、いわゆる「とっつあん車」の部類である。助手席に女の子でも乗せてやさしく悠然とドライブするのが似合っている。しかし、私にはそんな女の子もいなかったし、時間も、精神的余裕もなかった。もっぱら病院と下宿の往復に使った。つまりゲタ替わりであった。

乗り心地はさすがに快適であった。足回りは四輪独立懸架、四輪ディスクブレーキと贅沢な作りなのだ。ブレーキ性能が高く、ペダルを踏み込むと滑らかにかつ強力に利くのである。だから思い通りに止まる。しかも車の姿勢が乱れることもないのだ。安心である。前に乗っていた車はドラム式だったからなかなか止まらず、つんのめるような姿勢になる。雲泥の差であった。そのほかにも、エアコン、パワーウィンドウ、電動ミラー、間欠ワイパー、集中ドアロックなどの装備がつけられてあった。これらは今でこそ軽自動車でも当たり前だが、その当時の私には大いに車の進歩が感じられた。

私は何もかも大事に扱った。特に可動部分には気を使った。鍵を鍵穴に入れてドアを開ける時もエンジンをスタートさせる時も、力を入れずにそっと回すようにした。そうでないと鍵がゆがんだり鍵の山がなまってしまうのだ。前の車で経験済みである。そしてエンジンとトランスミッションに負担がかからないよう、アクセルはなるべくゆっくりかつ最小限に踏むようにした。それでも長年の間に劣化が進み、エンジン音は鈴からだんだんに轟音へと変わって行った。さらに、足回りは特に注意した。直すのがいかにも厄介そうだ。いつかテレビでやっていたのだが段差の衝撃は普通に走行しているときの千倍にも相当するのだという。だから走行中でも道路の継ぎ目などが見えると、そこを通り過ぎる瞬間はアクセルを戻して惰力のみにした。エンジンの動力が車輪に伝わっていては、その分足回りへの衝撃が強くなると思ったのだ。また、前を走行している車の車体が揺れるのを見れば道路の凹凸が分かる。タイミングを計ってアクセルを戻して通過するようにした。涙ぐましい努力の運転がいつの間にか板について自然に行えるようになった。

こうして私は二十六年間も乗り続けたのである。譲り受けた時が七年落ちだったから、車歴は結局三十三年にもなった。この間に修理した主なものは、ラジエーターとヒーターの交換一回、ダイナモ交換二回、エンジンのオーバーホール二回、全塗装一回などである。小型車が買えるくらいの費用がかかっていると思う。それでも馴染みのモータースで格安の料金で修理してもらえた。それに、一度も車を買い換えてはいないのだ。世間並みに考えれば二三回は乗り換えてもおかしくはないはずである。その分の車両本体の費用は一切かかってない。そう考えると、車に優しかったばかりでなく、地球環境にも、そしてお財布にも随分優しかったのだと思う。

最終的な走行距離は二十二万キロを超えた。しかし正確にどれくらい走ったかは分からない。途中から走行距離計の調子がおかしくなっていたのだ。どういうことかというと、千の位のカウンターが素直に繰り上がらなくなったのである。しばらく足踏みする。そんなことにはかまわずに運転していると何かの拍子に繰り上がって再び一の位のカウンターから動き出している。だから、少なくとも二十二万キロということなのだ。年間の平均走行距離を計算すると七千キロ弱である。なるべく使わないようにしてきたのだ。ちなみに、タコメーターはかなり早期から気が向いたときにしか動かなくなっていた。修理が困難なのと走行にはあまり影響ないのでそのままにしていたら、いつのまにか完全に永眠したのである。

普通ではあまり経験しない不具合も起ってきた。曲がるたびに車体の後方から「ギギッ」と軋む音が発生するのである。あまりいい気分ではない。だから、余計におだやかにハンドルを切るようにした。屋根からは雨が漏り、窓からはすきま風が入るようになった。いよいよ建て付けが悪くなってきたのだ。またある時には、突然ヘッドライトが消えるという怪現象が起こるようになった。夜道で急に目の前が真っ暗になるのである。瞬間的ですぐに直るのだが非常に危険である。もちろんすぐに修理した。極め付きはシートベルトだ。金具とこすれる部分が毛羽立ってくる。同じ場所の繊維ばかりが切れるからベルトに裂け目が入った。それが少しずつ深くなって行くのである。織り込まれてあった繊維がほどけてフサフサに広がった。もう少しで千切れそうだ。安全上問題である。交換を依頼した。しかし意外にもすでに部品がないという。どの車でも同じものを使っていると思っていたら車種によって違うのだそうである。仕方がないから他の車のを流用して全とっかえしたのである。

そのように大事に扱ってきた車であるが、本当は私は長い間この車を好きにはなれなかった。どうも私の趣味ではないのである。ブタ目と言われるフロントマスクがブサイクで気に入らない。まったりとした走りが鈍臭くて不満であった。私はスポーツタイプの車に憧れていたのである。しかし、長く乗っているうちに私も歳をとって考えが変わった。早く走るよりも快適に走る方を好むようになった。であれば車のデザインだってその走りにあったものが良いのだ。私はこの車に馴染めるようになったのである。それに、もうほかに同じ車種の車はほとんど見かけなくなった。自分しか乗っていない自分だけの車である。悠然と走っている方が優越感を感じられた。

故障以外にもいろいろなことが起こった。車検制度である。過去には車歴が十年を過ぎると毎年車検を受けるように法律で決まっていた。だからわが家の車もそれに従った。確かに昔の車の品質は今よりも劣っていたからその必要があったのだろう。ところが今や日本車の品質が向上し世界から太鼓判を押されるようになった。そこで規制緩和が行われて十年を超えても車検は二年毎と法律が改正されたのである。これによって我が家の車は再び二年車検へ戻った。得したような気にもなった半面、法律っていうのは一方的で勝手なものだと感じた。

九死に一生を得たこともある。ある時エンジンから異音が発生するようになった。年季の入った車だからいつ何が起こるか分からない。いつもそういう不安を抱えていたから、すぐに行きつけのモータースに持ち込んだ。そしたら、エンジン内のチェーンを駆動する歯車がなまっていたとの診断であった。もし歯車からチェーンが外れたらエンジンは再起不能になっていたであろうとのことである。危機一髪であった。ところがそれだけでは終わらなかった。エンジンのオーバーホールを行っている間に、借りていた代車が横から衝突されたのである。このもらい事故によって代車は大破して廃車となった。いわば我が家の車の身代わりとなってくれたのだ。すぐに修理に出したおかげで二重の難を逃れることが出来たのであった。

度重なる修理と車検整備、そのつど代車を借りた。いろいろな代車に乗った。代車として貸し出される車は一般的に言ってボロ車である。ボロで売れる見込みもないような車が代車にされるのだ。十年落ちぐらいが多いだろうか。しかし、どの代車も我が家の車に比べれば格段に新しくてしかも断然乗りやすいのだ。良く走るので「この代車いいねぇ」と感心させられた。そして、しばらくぶりに帰ってきた我が家の車に乗ると愕然とした。代車に乗っていた感覚でアクセル踏んでも全然進まない。こんなはずじゃなかったと思いながら恐る恐る踏み込むとやおら動き出すのである。エンジンは唸りをあげるが力は感じられない。走り出すと金属の上を重い金属が転がるようなゴロゴロとした低い音がする。どこかのベアリングが傷んでるんじゃないかと思う。お爺ちゃんが硬くなった関節を一生懸命動かして働くイメージである。譲り受けた頃を思い出すと、機械でも歳をとるのだなあと実感させられた。

初めは好きになれなかったけれども、だんだん誇らしく思えるようになった。こうやって衰えても動こうとするのを見ると愛おしく感じられる。でも、相手は単なる機械である。移動するための道具だ。感情など持ってない。こちらのことなど何とも思ってはいないのだ。それはそうなのだが、こちらとしては機械だろうとつい感情移入してしまう。いつまでも健康で長生きしてもらいたい、自然にそう思うようになった。しかし、無事でいられるわけはなかった。ついに個人の力ではどうにもならない事態が発生したのである。