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小児科医のコラム59 うちのかあちゃん

コラム59 うちのかあちゃん

男性が自分の配偶者のことを指して言う表現にはいろいろある。妻とか家内とか。くだけたところでは女房とか嫁さんとか。あるいは山の神といったりすることもあるが、恐れをなしているからなのか敬意を表しているからなのか分からない。また、財布のひもを握られているという意味だと思うが、大蔵大臣といわれたりもする。もっとも大蔵省の名称が財務省に変わってからはこの言い方はすたれたように感じる。そりゃそうだろう、役所の名前が変わったからといって奥様の呼び方までも財務大臣なんて言おうものならやりすぎだ。シャレではすまされない。山の神からおしかりを受けることになるだろう。

ビートたけしはテレビ番組内で「かみさん」と言っていた。自分の個性に合った呼び方を選んで使っているのがうかがえた。私が椎間板ヘルニアで入院した時に、同室になった電気工事の職人は「おっかあ」と言った。最初はおふくろ様のことを言っているのかと思った。ところが話を聞いているうちにそれが嫁さんのことを指しているのだとわかって笑ってしまった。自分の嫁さんのことをおっかあと言うのは斬新だ。でも、確かにその言い方はその職人の人柄にぴったりなのであった。

電気工事の仕事は雨が降ったら中止である。ある日、仕事に出掛けたら急に雨が降って来て休みになった。そこで、その職人はこれ幸いにとパチンコ屋に直行したのである。パチンコが大好きなのだ。まだ開店前で人が並んでいる。列の後についていたら、こともあろうにおっかあが姿を現したのである。おっかあもパチンコが大好きなのだ。二人とも開店目指してやって来たのだった。鉢合わせしたからには当然喧嘩である。「仕事サボってパチンコとはなんたることか」、「俺が仕事している間おまえはのうのうとパチンコか」と。そんな笑い話を病室でしていると、うわさのおっかあが見舞いに来た。茶髪のショートカットで、前歯の一本は金歯であった。職人が「おっかあ」と声をかけると、いっしゅん鼻白んだ。さすがに知らない人様の前でおっかあ呼ばわりは恥ずかしいのだ。「何言ってんのよ」と、おっかあも言い返した。十倍返ししそうな勢いだ。口は荒っぽいけど明るい気性なのだ。なるほど、「おっかあ」がぴったりである。二人はいつもこんな調子なのだろう。だからこの人には自然とこの呼び方が思い浮かんだのだ。パチンコ屋の光景が目に浮かぶようである。

私にも自分にピッタリした家内の呼び方があるといいなあと思った。それも出来るだけオリジナルなのがいい。そこで思いついたのが「かあちゃん」である。かあちゃんという言葉自体はありふれているが、それを自分の嫁さんのことに使う人はあまりいない。だからこれにしようと思った。同僚の前で初めて使ってみた、「うちのかあちゃんが…」と。だが、おふくろのことと勘違いされた。なので当面は前置きを言うようにした、「かあちゃんてのは家内のことなんだけどね、うちのかあちゃんが…」と。もちろんこんなくだけた言い方はどんなときにも使っているわけではない。気の置けない仲間同士で話す時だけだ。今ではみんなに馴染んだので、何も言わなくてもかあちゃんで通じるようになっている。

ところで、なぜかあちゃんにしたかというとそれなりに由来がある。二十年前の長男の幼稚園の参観日でのことだ。家内が見に行った。息子は振り返って多くの父兄の中に自分の母親を見つけた。そしていきなり「かあちゃ〜ん」と叫んだのだそうである。家内に衆目が集まった、どんな野暮ったい人なのだろうかと。赤面した話を私は後になって聞かされた。

しかし、何でこの時ばかりかあちゃんと呼んだのだろう。普段はそんな言い方はしないのだ。不思議に思ったがしばらくして理由が判明した。じゃじゃまるである。その当時NHK教育テレビの幼児番組おかあさんといっしょの中の人形劇「にこにこぷん」の主なキャラクターがじゃじゃまる、ぴっころ、ぽろりであった。わが家でもよく見ていた。そしてその番組のカセットテープを買って子どもに聞かせた。家族で車で移動する時などは重宝した。子どもは一緒になって歌って暇な時間を過ごすことが出来たのである。私も運転しながら繰り返し聞いているうちに覚えてしまった。そして、その中に「夕焼けはママのにおい」という曲があった。曲の中でじゃじゃまるが遠い母を思って「かあちゃ〜ん」と叫ぶのである。これか、と思った。息子は参観に来た母親を見つけて声をかけようとしたのだが、教室の後ろの方に離れて立っている。離れている母に向かって呼びかける時は「かあちゃ〜ん」だ。じゃじゃまるを連想したのだ。

たとえ子どもが親を言うのにも、今どき「かあちゃん」とは野暮ったい言い方だ。だけど、あったかい言い方でもある。じゃじゃまるが叫ぶ「かあちゃ〜ん」にも母を慕う気持ちがよく出ているではないか。だから息子にならうことにした。気心の知れた人の前では、「うちのかあちゃん」と言うのである。