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小児科医のコラム60 ジンクス

コラム60 ジンクス

医者になって二年目、山間部にある総合病院に勤務した。自ら希望して医局から派遣してもらったのである。人口三十万の医療圏の中核病院で、地域の人たちから厚く信頼されていた。死ぬならこの病院とまで言われるくらいだった。だから、あらゆる病気や様々な患者さんが集まってくる。しかし、医者仲間には人気がなかった。都市部から離れているからである。私は敢えてその病院を選んだ。若いうちはいろいろな経験が出来る方がいい、そう思ったのだ。でも、それだけじゃあない、もう一つ理由があったのである。

その病院には昔から言い伝えられてきたジンクスがある。それは、「二年と一日以上勤めると看護師と結婚する」というものだ。どういうことかというと、独身男性医師がその病院に勤務して二年以内に他の病院に転出するなら独身のままである。しかし、それが二年を一日でも超えて勤務するとその病院の看護師さんを相手に結婚するのである。諸先輩の例を過去にさかのぼって検証したら100%このジンクス通りであった。これはもはやジンクスではない、法則だ。

私はそこに狙いをつけた。というのも、私は大学病院で研修を行った末にある結論に達したからである。その結論とは、「嫁にするなら看護師に限る」というものだ。どうしてか…。それは、医者になったらとにかく不規則な生活が待っていた。病気は時を選んではくれない。夜も昼もない。当然だ。自分のことよりも患者さんのことが優先された。だから、そんな生活をお嫁さんにも理解してもらわなければならない。我慢してもらわなければならない。でなけりゃ家に帰っても肩身が狭いだけだ。安心してくつろぐことなど出来やしない。これがもし看護師さんならどうだ、同じ業界の人間だ。事情をよく知っている。理解してくれるだろう、許してくれるだろう、そう思った。だったら私にもジンクスを当てはめればいいじゃないか。その病院に二年と一日以上勤務するのだ。そうすりゃ看護師さんと結婚できる。どこの結婚相談所よりも確実だ。費用もかからない。病院を選ぶ理由には密かにこの思いが込められていたのである。

その病院に勤務するにあたり私は医師寮を借りた。病院の敷地内に建っている。どっぷりと仕事に浸れる環境だった。たくさん修行が出来たが、そのぶん私生活は仕事に乗っ取られていった。赴任するとすぐに私は土曜と日曜の「待機」を命ぜられた。つまり、病院で何か必要になったら呼び出されて対応に当たる役目である。「出番」とも言われた。それを月曜の朝まで続ける。そして月曜の朝になれば引き続き通常の診療が始まる。つまり休みなしなのである。

その出番を何か月も続けているうちに、さすがの私もだんだんくたびれてしまった。ただし、平日の夜は他の医師が出番だ。この時ばかりは自分も一応は自由である。当然のごとくウサを晴らすのに酒瓶に手が伸びるようになった。結局この出番は八ヶ月続いた。その後にようやく解除されることになった。そうなれば土日も飲める。飲む回数は減るどころか増えていった。だが、一人自分の部屋で飲むのは侘しい。そこで宴会をやることを思いついた。自分の部屋でみんなで楽しくやって時間を過ごそう。酒とつまみと料理を用意した。同僚の医師と看護師に声をかけた。土曜日の夜を選んだ。次の日が日曜なら参加できる人数が多くなるからだ。かくして自前の飲み会が開催された。みんなが来てくれた。都会から離れた山間部である。まだインターネットもカラオケボックスもなかった時代だ。みんなにも絶好の気晴らしになった。

回を重ねていった。すると、噂が病院中に広まった。今度来た小児科の医者はよっぽど飲むらしい、一番の飲んべえだと手術室の中でもささやかれた。だが、そのうちに賛同者が現れた。飲み物、食べ物を持ち寄る。準備や後片付けを手伝ってくれる。しまいには私が言い出しただけで宴会がセッティングされるようになった。場所まで提供してくれる者まで現れたのだ。医師寮のすぐ隣の古い一軒家を借りて住んでいた小児科の看護師である。見るからにボロボロの家で、どこを見ても歪んでいてまっすぐな所がない家であった。彼女は通勤に便利なのでそこに住んでいた。一軒家だから医師寮と違って他の部屋の住人に気兼ねしなくてよい。心おきなく宴会が出来た。そういうことが好きな性格のようであった。当然、私はその看護師さんと意気投合したのである。大きな土鍋、カセットコンロ、ホットプレートが大活躍した。

そもそも私は自分が楽しむために宴会を始めた。しかし彼女は逆であった。人をもてなして喜んでもらうのが楽しいようである。こんな人と結婚できれば嬉しいじゃないか、自分は幸せだ。医者の苦労も分かってくれるはずだ。自分はこの人を幸せにできるかどうか分からない。それよりも何よりもまず自分のこと気に入ってくれるかも分からない。でもできるだけ努力してみよう、そう思ったのである。宴会にかこつけてその看護師さんと付き合うようになっていった。それから結婚にこぎつけるまでに二年以上を要した。ということで、私はいつの間にかその病院に二年と一日以上勤務することになっていたのである。私はジンクスを守った。いや、ジンクスに守られてきたのかも知れない。

毎週毎週、土曜日曜の待機の出番を行うのは正直きつかった。しかし、おかげで多くの病気が経験できた、忍耐力も付いた。あの時のことを思えば大抵のことは我慢できる。やってよかった。なんてったって「お嫁さん」をもらえたのだから。ありがとうよ、ジンクス。