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小児科医のコラム61 孫が心配

コラム61 孫が心配

私の最大のコンプレックスは胴長短足である。ショーウィンドーに自分の姿が映ったりすると、正直へこむ。尋常ではないレベルなのだ。これじゃあかなり人目を引いているだろうと自意識過剰にもなる。だから、若いころ女の子には縁がなかったのはこれがネックになっていたと確信してきた。つまり、体型の第一印象で即アウトであった。

思いかえせば始まりは中学からだ。自分の容姿に関心を寄せる年頃である。私は級友から指摘されて気が付いた。確かにそうだよ、しかもかなりのものだ。ある時、隣のクラスの女の子からいきなり質問された、「引間君はどうしてそんなに足が短いんですか」。愕然とはこのことだ。評判が他のクラスにまで及んでいたのだ。ちょっとカチンときた。しかし、ここで怒っては男がすたる。とっさに頓知を利かせて答えた、「短くったって用が足りるから節約しているのさ」と。

後で知ったのだが、その女の子は学年文集を作る委員であった。いろいろな生徒に変なインタビューをして、おもしろい答えを記事にして載せる企画だったようなのである。笑いながら私の言葉を書きとめたらサッサと行ってしまった。そしてそれが編集委員長の先生のお眼鏡にかなって採用されたのである。年度末に文集が配られた。見たら私のコメントが実名入りで載っているじゃないか。唖然とした。私の胴長短足が学年中に知れ渡ることになった。ちなみに、自信作と思って文集に応募した私の小話はあえなくボツとなっていた。皮肉なものであった。

高校の体育でのことである。私が鉄棒に飛びついてぶら下がったら、体育座りして見ていた級友が突然私を指さして笑いながら言った、「パンダだ、パンダ!」。他の奴らもつられて笑った。白の上下の体操服で足が短いからパンダに見えたのだろう。私は何で笑われているのかわからなかった。それ以来、私は「パンダ」とか「パンダひきま」と揶揄された。その上さらに、よちよちと歩く姿が似ているから「ペンギン」というあだ名も頂戴した。それでもまだよかったのである、男子校だったから。

高校三年の春、身体測定で座高を計測した時の事だ。椅子のような形の座高計で測るのである。順番が来た。私は身を縮めて座った。そして頭で棒を押し上げながら背筋を伸ばした。そしたら何と体を伸ばしきらないうちに「ガチャン」と音がして頭がつっかえた。上半身は弓なりだ。驚いて立ち上がって見たら、棒がてっぺんに達していた。一メートルまでしか測れないのである。私の座高はそれ以上あって測定不能だ。昨年までは測れていたのに。なぜだ。身長は昨年と同じなのに。計算が合わないじゃないか。まさか座高が伸びて足が縮んだってことか。計測係の級友と顔を見合わせて苦笑いした。私はこのことを内密にしてくれるように頼んだ。友達も笑いをこらえながら了承してくれた。そして座高の欄には九十八センチと記入してくれたのだった。

私は過敏になっていった。床屋さんに行った時もそうである。髭をそってもらうのに椅子をリクライニングにするのだが、その時におじさんが背もたれからヘッドレストを「ガチャガチャガチャーン」と目いっぱい引き出すのである。私は鏡越しにそれを見てイヤーな気分になる。いかにも『お前は座高が高いんだぞぉー』と言われているみたいじゃないか。だから私は床屋の椅子に座るときは、気付かれないように浅く腰掛けることにしている。ガウンみたいな物を首から掛けてもらえばもうばれない。

ところが、そうすると新たな困ったことが生じた。頭を洗う時である。上半身を前に倒して洗面台の上にかがみ込まなければならない。そうなると腰の部分があらわになってしまう。浅く腰掛けていたのがばれる。しかも悪いことに、頭が洗面台の向こうにぶっつきそうになる。最悪だ。そこでだ、私は上半身を前かがみにするのと同時に腰を引いて深く腰掛けるようにした。頭が洗い終わって起き上がるときはその逆だ。頭を起こしながら腰の位置を前に動かす。こうして私は床屋のおじさんに座高がばれないようにカモフラージュを試みた。理髪店で四十年続けてきた。今となってはもう板について自然に体が動く。でもまあこんな姑息なことはとっくにばれているであろう。

大学生になってからは帰省の際に特急電車を使った。席にすわって背もたれに寄りかかると頭がガクンと後ろに倒れてしまった。顔が天井を向いた。背もたれというのはその名の通り私の背中の部分までで、首を支えるのには足りなかったのだ。頭を起こすと車内を見渡すことが出来た。私だけが座席より上に突き出ていた。そうすると、遠くの人とも目が合ってしまう。巡回してきた車掌さんともそのまま目が合う。気まずい。やっぱり浅く座らなければならなかった。

かくのごとく、学校で、映画館で、コンサート会場で、列車内で…およそ人が並んで座る状況では落ち着くことはできない。私の後頭部が後ろの席の人の視野を遮るだろうと気兼ねなのだ。だから浅く腰掛けて背中を丸める。おかげで普段から前かがみになる習慣がついていった。大学生になったある時、鏡を見て驚いた。みぞおちが深く窪んでいる。漏斗胸だ。猫背をつづけた結果であった。

しかし、過去に一度だけ自分の体型が褒められたことがある。高校のクラス対抗のスポーツ大会であった。運動が苦手の私は相撲に出場した。運が悪く柔道部のキャプテンと対戦することになった。相手の強烈な吊り出しを堪え切った私は、そのあと無心で投げを打った。そしたら大まぐれ、巨漢を投げ飛ばしたのである。その時、柔道部顧問の先生がおっしゃった、「引間君、重心ひくいねえ。どうだい、柔道部に入らないかい」と。褒められたのだから嬉しくないわけはない。だけど複雑な気分だ。そのうちになんだか可笑しくなってしまった。足が短くたってこんなメリットがあったのだから。

そして、たった一度だけではあるが、「足が長い」と言われたことがある。それは中学一年の時、美人タイプの英語の先生からであった。場所はその当時導入されたばかりのLL教室である。私は自分の席について授業が始まるのを待っていたのだが、行儀悪くふんぞり返って両足を机の下から前に突きだしていた。席は最前列である。入ってきた先生の目に留まった。そこで先生がにこやかにおっしゃった、「引間君、足が長いね」と。言われた方はビックリだ、ずっこけそうになった。皮肉で言ったのか、それとも本心から言ったのか真意は分からない。返答に困った。まさか「そうですね」と同意する訳にもいかない。嘘をつくことになるじゃないか。かといって「いいえ長くないです」と答えれば、自ら短足を認めたことになる。そんなの嫌だ。ただ苦笑するしかなかった。さらに、先生の言葉はクラスメートにも聞こえたはずだ。みんな後ろの席で笑いをこらえているに違いない。もし振り返って確かたりすれば恥の上塗りだ。じっとその場をやり過ごすことにした。そして、たぶん先生は感じたままを率直に言ってくれたのだろう、そう手前勝手に解釈することにした。

医者になったら白衣を着る毎日である。これで一応は体型を隠した。だけど、この私に嫁の来手があるだろうか。心配だ。誰にも相談できない。そんな時、私は耳寄りな話を聞いた。ある病院に関するジンクスである。「男性の独身医師がその病院に二年と一日以上勤務すればそこの看護師さんと結婚する」というものだ。先輩医師の例を検証すると全てこの通りだった。だとすると私にも有効かもしれない。そう当て込んで、自ら希望してその病院に行くことにしたのである。結局四年間勤務した。そして無事に看護師さんをお嫁さんに出来た。ジンクスにあやかれたのだ。その人は足のふつうに長い人であった。

その後、三人の子どもに恵まれた。体型が自分に似るのではないかと気を揉んだが、幸いにも家内の方に似てくれた。本当によかった。そして子ども達はあっという間に大きくなってみな巣立ってしまった。いずれ結婚するだろう。そして孫が生まれるだろう。楽しみだ。早いとこ顔が見てみたい。だが待てよ、体型が隔世遺伝するかも知れない。私に似たらどうしよう。そう思いついてしまったからには、孫が心配だ。