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小児科医のコラム62 2014への期待

コラム62 2014への期待

初夢というのは正月二日の夜に見た夢のことだと思っていた。しかし辞書を引くと大晦日の夢、元旦の夢、あるいは年が明けて初めてみた夢などといろいろであった。厳密にこうとは決まっていない。まあどれでも良いのだろう。とすると、私の2013年の初夢は一月四日の夜の夢ということになる。大晦日から一月三日までの間は夢を見たのか思い出せない。だけど、一月五日の朝には今まで見ていた夢をはっきりと憶えていた。多分これが初夢だ。いやいや、きっとそうだ。ぜひそうだと願いたい。

川遊びの夢だった。水あめのように透きとおった川である。上下に大きくうねりながら流れている。かなりの急流だ。大きな岩から飛び込む者や素潜りする者でにぎわっている。私は川に入って流れの中に身を漂わせた。水が勢いよく流れているにもかかわらず、何もしなくても同じ場所にプカリプカリと浮かんでいられた。後から考えると不思議なのだが、その時は何とも思わずに、ただ浮かんでいるのをひとり楽しんだ。他の人たちは水着を着ていたのだが、どういうわけか私は裸であった。なぜだかは分からない。でも、とにかくそういう設定だったのである。別に疑問にも思わなかった。

下流の方から一人の女の子が泳いできた。そして、私の傍らで一緒に漂い始めたのである。見たところ十代後半くらいだろうか。左の八重歯が覗いている。女優の赤座美代子をうんと若くしたような感じだ。その子が私に話かけて来たのである。何というフレンドリーな子だろう、ビックリだ。どうして俺なんかに。思いもよらぬ展開にうれしくなった。中年オヤジとしては嫌われたくないの一心だ。場が持たなくなったらどうしよう、気が気じゃあない。だけどそこは夢の中である、楽しくお喋りさせてもらった。しかもだ、こんなことを白状すると眉をひそめる人がいっぱいいるかもしれない。でも嘘はつけない、何とその子も裸という設定だったのである。誤解しないでもらいたいのだが、決していやらしい目でその子を見たのではない。設定がそうだっただけで、顔のイメージしか覚えていないのだ。

場面が急に変わった。私は岸に上がっていた。何か踊っているのである。足を斜め前に振り出すような動きを繰り返している。お笑いコンビCOWCOWの「あたりまえ体操」みたいだ。そして、さっきのあの子も隣で踊っているのだ。私に付き合って何でこんな踊りを一緒に…。お互いに裸なんだよ。こっちの方が気恥ずかしいじゃないか。相手の方など見られやしない。こっちはいい年したオジサンなんだから。うれしいけど照れくさくて目をつぶった。そしたらそこで目が醒めた。

これが今年の初夢である。寝起きがいいとはこのことだ。若い子と楽しい時間を過ごすことが出来たのだから。でも、実際の私にはそんな経験はほとんどない。およそもてたことがなかったのだ。だから思わず顔がほころんだ。この夢で少しその埋め合わせができたような気がした。でも、夢のことを家内に話すわけにはいかない。思いっきり顰蹙を買うのは目に見えている。黙っていることにした。

しかし誰かに話したい。たぐいまれにうれしかったんだから。仕事始めの日、病院に行って看護師さんに話そうとした、「あのなあ、今年の初夢がなあ」と。そしたら「せんせ、言わないほうがいいわよ。話しちゃったら叶わなくなるから」と言われた。私は「うっ」と言葉を飲んだ。そう言われてしまったらもう何も言えない。もっとも、叶わなくなるからっていったって、もともと叶うような夢じゃないのは百も承知だ。だけど、じゃあ言わないでいたら叶うのか、一瞬そんな気がした。言えば可能性はゼロだが、言わなければ可能性はゼロではない。一縷の望みはあるということだ、何だかうれしくなってきた。

宝くじだってそうだ、買わなきゃ当たらない。買えば可能性はゼロではない。そう思って初夢のことは誰にも話さなかった。ずっと黙ってきた。でももう十二月も後半だ。この先実現するとも思えない。残念ながら叶うことはなかった。まあどう考えたってそうだよ、期待する方がおかしい。でも、ほのかな夢を抱かせてもらった。それだけでもありがたかったと思うことにしよう。じゃあ来年はどんな初夢だろうか。2014に期待したい。