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小児科医のコラム63 赤信号は浮浪者のもと

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コラム63 赤信号は浮浪者のもと

私は赤信号が嫌いだ。信号に引っかかったばっかりに止まらなければならない。せっかくガソリンを燃やして車を走らせたというのに、ブレーキを踏めば運動エネルギーがすべて熱に変わってしまう。もったいない。しかもエンジンは信号が青になるまでアイドリングで回り続けている。その動力が活用されることはない。まったくガソリンの無駄。時間だってそうだ。信号はいつ青に変わるか分からない。だから集中して待っていなければならない。気を抜くことも、他のことをして過ごすことも困難である。できるだけ赤信号には引っかかりたくない。こう思うのは私だけではないだろう。ドライバーなら多かれ少なかれ同じ気持ちのはずだ。

渋滞はやっかいだ。一つの交差点で何回も信号待ちになる。青になったのに車列の進みが遅い。じれったい。自分の番が来る前にまた赤だ。どうすることもできない。イライラが募る。そんな時、私は周りを見渡すことにしている。自分には到底手が出ない高級車やスポーツカーも同じように身動きが取れなくなっている。渋滞はどんな車にも平等だ。そう思うと少し溜飲が下がった気がする。

待つ間のアイドリングをどうするか、毎回悩ませられる。ガソリンの浪費は嫌だ。だけどストップさせるのも気味が悪い。もしエンジンが再始動しなかったらと思うと心配だ。古い車だから何が起こるか分からない。勇気がいるのだ。つまり、どちらにしても居心地の悪い時間を過ごすのである。その点いま時の車は自動でアイドリングストップしてくれるしエンジンのかかりも軽やかだ。

朝はいつも同じ交差点で渋滞に巻き込まれる。通勤ラッシュなのだ。ある日、家を出るのがすこし遅くなってしまった。その分だけ遅れて渋滞地点にたどり着いたのだが、明らかに車列が長くなっている。わずかな間にみるみる悪化したのだ。いつも以上に信号待ちだ。五分遅れで出たのが、病院に着いた時は十分の遅れになっていた。十分遅れて出たなら、着くのは二十分遅れになった。それだけ余計に長く渋滞にはまっていなければならないのだった。

ということから考えると、渋滞は毎朝一定の時刻になると発生するのだ。そして時々刻々と悪化していって、通勤の時間帯が過ぎればあっという間に消失するのだろう。ならば、渋滞が解消してから行けばいいようなものだが、それでは始業時間に間に合わない。皆がぎりぎりの時間で一斉に通勤しているからだ。

できれば渋滞にはまらずに通勤したい。どうすればいいか。ちょっと遅れればひどい渋滞にあう。だったら逆にちょっと早く出ればいいではないか。そうすれば、早く出た以上に早く着くはずだ。実行してみた。思った通りである。早ければ早いほど渋滞は短かった。それならば、いったい何時から出来始めるのか、そしてその直前にその交差点を通過するには何時に家を出ればよいのか、確かめてみることにした。少しずつ家を出るのを早めてみて観察した結果、発生時刻は七時であることが判明した。これを過ぎると急速に交通量が増える。そうなる前にここを通過するのだ。そのために家を出るのは六時二十分であった。

渋滞がないから青ならスムーズに通過できた。たまたま赤信号に引っかかっても、青に変わればすぐ通過できる。病院には七時十分頃に到着となった。診療開始まで二時間近くある。診察室のカギはまだ開いてはいない。私は車の中で惰眠をむさぼることにした。朝早く起きて眠いのだ。ワンボックスカーだから座席を倒せば長々と横たわれる。人の目につかないように窓のカーテンを閉めて、一人眠るのであった。

春、夏、秋はよかった。でも、冬になると車の中で寝るのはきつくなった。エンジンを止めた車には暖房などはない。携行した布団にくるまっても寒い。まだ病院の中の方があったかい。待合室で待つことにした。建物に入ってみて驚いた。すでに患者さんが何人もいるではないか。まだ七時すぎというのに。受付に近い椅子に並んで座って順番待ちしている。どうやら常連さんらしい。かたまって世間話だ。それが目的でこんな早くから病院に来ているのかもしれない。毎週同じ顔ぶれであった。

私は順番待ちするわけではないから、ほかの患者さんから離れていた方がいい。受付から一番遠い椅子を選んだ。ちょうど日当たりもいい。お行儀が悪いとは思ったのだが、周りには誰もいない。椅子に横たわって腕枕をして目をつむった。すると遠くから世間話が聞こえる。高齢者の男女二人ずつのグループだ。それぞれが誰かの陰口を言っている。あるご婦人などは恨み骨髄といった罵詈雑言である。こんなにも激昂する内容とは一体どんなことなのか、誰だって興味がわかない訳はない。私は聞き耳を立てた。

するとどうだろう、自分がこれから診てもらうはずの医者の悪口であった。いかに態度が失礼か、口のきき方が悪いか、どれだけ辱めを受けたか、延々と語り合っている。それでお互いのウサを晴らしているのだ。聞いていると本当かと疑いたくもなるひどい内容だ。偶然その場に並んでいた他の患者さんも皆そう思っただろう。別に自分が言われているわけではないのだが、あんまりいい気はしない。なんだか肩身が狭い。

まずいなあと思った。まさかこんな所に医者が居て全部聞かれていようとは、このご婦人は夢にも思ってないだろう。自分が医者だとばれたらどうなるだろう。怒りの矛先は私に向けられるかもしれない。とばっちりは嫌だ。あるいは逆に、私に遠慮して口をつぐんでしまうかもしれない。だとすると格好のウサ晴らしの機会を奪ってしまうことになる。私は身分がばれないように、椅子に横たわったまま寝ている風を装ったのである。

八時になると受け付けが始まる。順番をとるとそれぞれが自分の受診科の外来に散らばってゆく。ウサ晴らしはそこで終了だ。やがて診療が始まって自分の名前が呼ばれて診察室に入ってゆく時には、皆さん従順な患者になっているのだろう。私はというと、診察室のカギが開いたら感づかれないように移動するのであった。

しばらくはそうやって病院で暖をとっていたのだが、ついに身元がばれる日が来てしまった。警備員に見咎められたのである。早朝の病院にも警備員はいるが、これまでは私のことなど眼中になかったようであった。ところがその日はいつもと違う制服を着た人であった。警備会社が替わったのだろう、そう思いながら私はいつものようにいつものところで寝たふりをしていたのである。新しく来た警備員は私に目を付けたのである。そりゃそうだろう、新規に配置された場所での警備に落ちがあってはならない。少しでも怪しい所があれば安全かどうか確認するのだ。

順番待ちでもなさそうな人がこんな早朝に病院にいるのはオカシイ。一人でポツンと離れて寝ている。いっぱい重ね着していてみすぼらしい。黒のジャンパーのフードをかぶって顔を隠している。そばには使い古した大きなカバンとヨレヨレの紙袋、見るからにあやしい。きっと家財道具一式を持ち歩いている浮浪者とでも思ったのだろう。私は警備員が近づいてくる気配を感じたが、じっとしているようにした。逃げようとしたらかえって怪しまれる。警備員が大声あげて騒ぎ立てるかもしれない。

警備員が私の顔を覗き込んだ。狸寝入りの私は内心ドキドキした。こういう時、警備員はどういう言葉を掛けてくるのだろう。それが分かればどう答えればいいのかあらかじめ準備も出来ようというものだ。だが、とっさには思いつかない。そしたらいきなり「どういうご利用ですか」と尋ねてきたのである。

身構えていた私はなるほどそういう聞き方をするのかと感心した。これがはなから不審者と決めつけて追い払うような言葉だったら、たとえ不審者だったとしても気分を害するかもしれない。「どういうご利用ですか」とは、言い逃れができなくはない物の訊き方である。不用意に相手を怒らせることは多少でも回避できる。私は寝ぼけまなこを装って「仕事に来たんです」と告げた。こうなったら嘘はつけない。「医者なんです、診察に来たんですよ、パートの医者」と。

警備員は目を丸くした。まさかお医者様だったとは…そんな顔である。ははーっと恐縮しきって平身低頭、自分の持ち場に戻って行った。元はといえば私があまりにも赤信号を嫌ったからだ。二時間近くも早く出勤してこの結末である。ということで、とどのつまるところ「赤信号は浮浪者のもと」なのであった。

この一件が警備員から病院に伝えられたらしい。今では早番の事務のお姉さんが七時十五分過ぎに診察室のカギを開けに来てくれるようになった。私はそれに合わせるように出勤すればよい。もう浮浪者になることもなくなった。そして、あの陰口を聞くこともなくなったのである。