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小児科医のコラム64 同姓同名

コラム64 同姓同名

病院には多数の患者さんが訪れる。そのすべての顔や名前など、とてもじゃないが憶えてはいられない。とは言っても、よく受診に来る方とか何か特徴のある患者さんなどは記憶に残る。だんだん顔と名前が一致してゆく。そうすると、稀ではあるものの同姓同名の方がいらっしゃることに気が付く。字の綴りまで全く同じこともある。そんなこと世の中では別段珍しくはないだろう。だけど、私が外来の診察室で実際にお目にかかる患者さんは数に限りがあるのだ。その中でのことだからすごい偶然だと思う。

二十数年前のこと、私は他の二人の医師と小児科外来を行っていた。患者さんのカルテはまず私の診察室の机の上に運ばれてくることになっていた。次々に運ばれてくる。すぐ山のようになる。後から受付した人のカルテは山の一番下に差し込まれる。すなわち受け付けした順に上から並んでいるのだ。当然一番上のカルテの患者さんから診察する。他の医師の所へも上のカルテから順に振り分けられていく。山の高さを見れば現時点での混み具合が分かる。高くなっていったり低くなっていったり、それを横目で見て一喜一憂する。受付して来る人と診察が終わる人とのせめぎあいなのだ。

私は一番上のカルテを手に取った。そして看護師に招き入れるようにお願いした。患者さんが入室して来るまでの短い間、私はカルテにざっと目を通すことにしている。どういう患者さんなのか大まかに把握できる。少しでも効率よく診察したいのだ。たぶん他の医師も同じようにしていると思う。見ると数日前に受診した記録が残っていた。今日また受診に来たということは、その後の経過が思わしくないのかもしれない。よくなっているなら受診する必要はない。なんとなくきまりが悪いなあと思っていると、視野の右端に患者と母親が入ってくるのが見えた。

どんな言葉で切りだそうか。「その後の具合はいかかですか」にしようと思った。でも、それじゃあ否定的な答えが返ってくる可能性が高い。なにも自分から旗色を悪くすることはない。もっと当たり障りのない言い方にしよう。「お薬は飲めましたか」と訊いてみた。しかしながら、患者本人もお母様も無言である。私は勘ぐった。どうして答えてくれないのだろう。治りが悪くて機嫌を損ねているのだろうか。それとも病院に何か不満でもあるのか。こうなると患者さんの方に視線を向けるのもはばかられる。仕方がない、「その後の具合はいかがですか」と尋ねてみた。そしたら今度は「はあ?」と鼻白んでいる。どうも会話にならない。視線を向けると小学校高学年と思われる背の高い女の子と母親が顔を見合せて当惑している様子だった。だが、本当に面食らったのはこっちである。カルテに記載されてあったのは幼児の記録だった。処方された薬だって小さい子ども用の粉薬だ。カルテから予想された患者さんと目の前の小学生とではまるっきりイメージがかけ離れていた。別人か。時にはそういうこともある。言い間違い、聞き間違いで別の人が入室してしまうのだ。私はカルテの表紙に書いてある名前かどうか聞いてみたら、「そうだ」という。初診で来たから薬だってもらってないのだ。じゃあ、いったいどういうことなのか…。山積のカルテを見た。次の順番の名前が見える。我が目を疑った。同じ名前であった。

同姓同名、しかも綴り方まで一緒。驚きだ。たまたま同じ時代に生れ、同じ地域に住み、同じ時期に病気にかかり、同じ病院を受診したのだから。しかも同じ日のピッタリ同じ時間に立て続けに、である。こんな偶然が起り得るのか、何だか恐ろしくなった。よもや人を取り違えることがあっちゃいけない。それからというものは、私は本人確認を名前と生年月日で、あるいは住所も確かめるようにしている。そこまですればいくらなんでも大丈夫だろう。以来二十数年間、もうこんなことは二度と起こらないだろうと思っていた。

ところがである、そのまさかの二度目が起きた。今度は二人とも私が長期に治療している慢性疾患の患者さんであった。だからこの二人が同姓同名であることには前々から気付いていた。しかし、いつもそれぞれが別の曜日の外来を予約して受診していた。だから鉢合わせすることはなかった。ところがある時、片方の患者さんの予約が急遽変更になって、もう片方の患者さんとたまたま同じ日に重なったのである。外来患者の氏名と予約時間はコンピューター上で見ることが出来る。それによると二人の予約には時間の差があって、その間には別の患者さんの予約が入っていた。だから二人は出合うこともないだろうと予想した。しかし偶然というのは重なるものである。二人の間に予約していた患者さんが予定よりも早く来院したのである。診察の順番が入れ替わった。するとその後に、間をおかず二人が立て続けに来院したのである。お互い見知らぬ者同士で待合室の椅子に座った。

私と看護師で顔を見合わせた。この極めてまれな偶然の状況を本人たちは全く知らないのだ。看護師が患者さんの名前を呼んだらどうなるだろう。私は診察室の中に居ながらドキドキしてきた。呼ばれたら二人同時に立ちあがるかもしれない。さぞや面食らうだろう。目に見えるようだ。看護師が患者さんを呼んだ、「ハーイ、次のかた。○○×××さんで平成○年○月○日生まれの人」と。そして事情を説明する声が聞こえた。待合室の方から小さい笑い声が上がった。やれやれ無事に済んだか、私には感慨に近いものがあった。

さて、はたして三度目は起こるだろうか。二度あることは三度あるというじゃないか。だとしたらどんな三度目になるか楽しみである。また二十数年後だろうか。そしたら自分は平均寿命になっているはずだ。それまで体が持てばいいのだが…。
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